思考力

引越し先生

長く眠るように配合された薬のカクテルだからだろう、昨晩から今朝にかけても長くゆったりと眠れた。途中で何度か目を覚ましたが、やはり穏やかな睡眠用BGMを流しながら眠っているので、再度入眠しやすい。今朝も、眠気がなくなるまで温かい布団の中でヌクヌクとヤドカリになっていたが、大方9時ごろになれば、勝手に眠気はなくなっていた。そして、目覚めのコーヒーを飲みながら、この記事を書いている。

こんなヤドカリ生活をしながら睡眠負債日記のようなブログを書いていると、曜日感覚というものが崩壊し、今日受診すると思い込んでいた東京の精神科の予約が、明日だったことに気づいた。このことは、今や、空白でスカスカの私の小さな手帳を眺めていて分かったこと。これはこれで役に立っている。今や、使いこなせる物ばかりを身の回りに配置させているので、物の住所は決まっており、セミミニマリストのような感覚だ。ここまできてしまえば、ミニマリストになれるかなれないかの決定的な決め手となる「思い出の品」も処分していこうかとも思っている。授業中に使っていた小道具やら、オリジナル講座で死ぬ思いで完成させたプリント類などがそれに当たる。

しかしながら、記憶の断捨離というのは難しく、ここ半年以上、辛い嫌な記憶ばかりに囚われてしまっており、この記憶だけをスッポ抜いて捨ててしまいたいのだが、物理的なモノではないため、とても難しい。ある人と話をしていた時に、同じような過去の記憶に対して、どのように対処していくべきかということを話し合っていた時、ある程度のところまで行ったのであれば、その物事に「折り合い」をつける以外ないという結論に達した。たしかに、憎むべき相手が、毎晩寝る前に、自分に対して謝罪の気持ちになっていたとしても、自分の苦しかった気持ちというのは消えないわけであり、そもそも自分に危害を加えた者が、わざわざ謝罪の気持ちを持つとは思えない。だから、ある意味では「時効」にするしかないのである。

昨晩、ヤドカリ生活の「宿」を変えようか迷って、ネットでいろいろな物件を検索していた。もちろん先立つものなどないわけだから、閲覧のみのウィンドウショッピングのようなものをしていた。なんやかんやで、千葉外房で生活するのは、なかなか不便なことも多く、やはり自転車生活となると苦しい側面がある。それならば、思い切って住む場所を変えるのも、やはり一つの手段ではないだろうか。少なくとも、このどん詰まりの「ヤドカリ生活」には戻らないと思う。

夏目漱石も、とんでもない回数の引っ越しをしてきた。もちろん、彼の行為を真似するわけではないが、私というヤドカリは、少々刺激が足りなくなっているのかもしれない。そのような観点で考えると、やはり常にミニマリスト感覚で生活しつつ、ここぞという時に一気にタイミングを逃さない動きができるようになりたいと思っている。

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