思考力

割振られた特殊な資格

「8050問題」に代表される、中高年の引きこもり。50才になっても、20年、30年と自宅に引きこもるというのは、どれほどの苦しみを伴うのだろうか。もはや、すぐには抜け出せないという焦りと、社会の流れから取り残されてしまった、「おいてけぼり」の感覚。このプレッシャーと闘うことは、並大抵のことではない。これを、「甘え」だという人がいるんあら、物事の本質を理解しようとしていない、まさに「甘えた人」なのだと思っている。

私自身も、うつ病で指先一つ動かす事が、まるでナマリの塊を動かさなければならぬような感覚で、いつも希死念慮ばかりが脳裏をよぎっていた。私の場合は、その時の酷い状態は、双極性障害の始まりである深い鬱状態であったのかもしれない。まさに、人生で一番自由で喜びに満ちた大学1年間を棒にふってしまった。これは、私の人生で、とても悔やむことの一つだ。ただ、「8050問題」に苦しむ人たちの冷凍庫に閉じ込められたような長年の封鎖された苦しみの長期戦に考えれば、どちらが辛いかという尺度は別として、期間という長さを基準にすれば、数十年と引きこもる生活を送っている方が、よほど辛いであろう。

もはや、数十年という単位で引きこもってしまったのであれば、まるで玉手箱を開けてしまうような感覚に陥らないかと、当事者たちは不安になるのも当然だ。今の社会の動きもわからず、悶々としている苦しみは、想像を絶する。現代社会で、とてもデリケートで深い闇を伴う、引きこもりの長期化であるが、当事者は、自分に向いている仕事が、もはや見えなくなってしまっているに違いない。こんな暗闇に閉ざされた世界から抜け出すには、それ相応の強い労力が必要だ。そのプレッシャーから目を背けられないから、当事者の不安はますます蓄積され、足踏みをしなければならなくなってしまう。

ただ、どんな人であれ、その人にしか発揮できない役立つスキルを持っている。これは、私の考えだ。そして、この考え方は、大きく的外れな考えではない。もっと社会に対して恐れを抱かないような、自分に対して、もっと自信を抱けるような仕事は、きっと見つかる。これは、気休めではない。このように考えることは、どのような資格を取得するよりも役に立つはず。生まれたからには、何かしら特出した才能というのが兼ね備えられている。それを見つけられなかったから、長い間、引きこもっていたというのが、ポジティブな考え方であり、実際、そのような考え方は、あながち間違ってはいないとも考えている。

引きこもっている人、うつ病で仕事ができない状態の人、誰かから受けた傷のトラウマが消えずに生活をしている人。どんな人であれ、心に深い傷を負っているのであれば、一度立ち止まって、十分な休息を積極的にとりつつ、これからのビジョンを思い描く事がとても大切な事であると私は思っている。一流になるための考えを模索するわけではない。誠実に生きる道を思索するための大切な考え方だと、私は思うのだ。

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