思考力

見えぬものの違う角度

過ごしやすい天候になった。気温は高くとも、カラッとしている。もはや夏の蒸し蒸しした暑さではない。私が、最も好む季節だ。ただ、これから秋が始まり、どんどんと冬に向かって気温が下がり始めると、皮膚が外気に刺激されて身を守ろうとする。そうなってくると、心の状態も塞ぎ込んでいき、一気にうつ状態になることも否めない。このうつ状態を、アルコールなどで埋め合わせようものなら、とんでもない依存症となって地獄に落ち込んでしまう。そこら辺の自制心は保っておかねばならない。

人は、必ず何かに依存している。それは事実であると思っているのだが、やはり生活に支障が出るほどの依存であるのならば、改善せねばならない。私の依存する対象も、かなり根深く、やはり専門機関での入院を伴う加療が必要なのかもしれない。いや、もうすでにその状態にいることは分かっている。このままズルズルと生活していたのならば、やはり今後の人生設計が滅茶苦茶になりかねない。そうなる前に、白旗を挙げて、入院してしまおうか。

最近は、人間と会話をすることがめっきり少なくなり、自分自身や自分と関わってきた人との独り言ばかりしている。人間は、果てしなく寂しがりやである。それは、古代から狩猟採取をして、外敵から確実に身を守るために集団で動いてきたから、DNAが脳みそに焼きついているのだ。だから、それに抗うことは決してできない。それを認めずに1人で生きるということは、並大抵の努力では不可能で、それこそ依存の症状から抜け出すほどの気合いと勇気が要る。

昨晩、日本語の歌を英語で聴いてみた。言語を換えるだけで、その歌の違った側面という新鮮な輝きがあった。孤独を癒したいという気持ちは、人類共通の悩みなのかもしれない。それを補うために、哲学や宗教、芸術や音楽などの目に見えぬ力を含有した分野ができたのだと思う。だから、昨晩聴いた音楽の中に、新しい側面を見いだせたということは、自分の人生を異なった角度から照らせば、ドン詰まりに行き詰った自分の人生の解決策を見出せるようになるのかもしれない。そんなことを、カラッとした空気を入れた気持ちの良い朝の部屋の中で考えていた。

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