さて。年齢の一の位が、一つ上がった。そのことを知らせたのは、一人だけ。LINEで「えー、何歳のなるの?」で終わり。もう一人、祝福してくれたと言っていいのかは分からないが、LINEだけは、誕生日を記憶してくれていた。なので、一人の人間と記憶力の高いアプリだけが優しさを兼ね備えていたというわけだ。
この1年間は、まともに人間と会話をした時間は少なく、その前の年に、教室の中で声が枯れるくらい叫び続けていた年とは、真逆の365日だった。そうなってくると、遠回しに「バースデイ」を打ち明けていたとしても、「サプライズパーティー」が開催されることはない。ただ、私は、そのようなイベントを忌み嫌うタイプなので、別に全く問題ない。
認知症の検査の問診では、自分の年齢を訊かれることから始めることも多いらしいが、昨年の社会福祉協議会の「緊急小口資金」の貸付金の申込時に、自分の年齢が分からなくなっていた。別に、認知症だとは思っていないが、そん自覚症状がないこと自体が「認知症」みたいなので、今日ひとつ年齢を重ねた数字くらいは、記憶しておこう。十の位と一の位が同じ数字なので、非常に憶え易いと言える。今、集中力と記憶力アップのためのBGMを流して、ブログを書いているので、44+1歳まで、このようなブログ毎日更新を継続していれば、少なくとも今より健康的な脳を磨き上げられるはずだ。
誕生日だというのに、今日は「春の嵐」になる予報。このブログでは、たびたび書いているが、錯乱する情報過多の時代のなかで、唯一信用して良い情報といえば「天気予報」くらいだ。いろいろなYouTuberや、様々な本が、同じような金融資産の運用方法や、健康に関する知識を発信しているが、時間と共に微弱ではあるが修正されていっているという事実もある。例えば、「億万長者になるためのノウハウ」「住宅ローン返済計画」「スマホだけで稼ぐ」などがありつつ、「金持ちになると不幸になる」「住宅ローンは組むな」「スマホは百害あって一利なし」など。それぞれの主張が、対立項として存在している。
一時的なブームというのは、一種の「熱病」のようなもので、マスコミが大衆の心を操理、グルグルと煽っている場合がほとんど。やがて、その「解熱剤」を探すことに秀でたメディアが、次々と視聴者の視線を、逆の方向へと釘付けにする仕組みとなる。今まで当たり前に鵜呑みにしていた事柄が、実は危険性をはらんでいて、それを防止するためのスイッチを提示できれば、その提案者は、英雄として崇められる。さらに多くの支持者が現れれば、反対勢力は、ますます不利な状況へと追い込まれ、やがて逆風の「熱病」が発症する。
私が関わっていた予備校業界は、そのようなブームが、縦横無尽に暴走する典型的な舞台であった。真に実力のある者が崇拝されるわけではなく、上手く裏で足を引っ張ることで、自分のポジションをキープした者が、絶対的優位性を保てる。どんな予備校であれ、第一線で活躍している講師たちは、多かれ少なかれ、そのような卑劣な行為に耐え抜いた忍耐力のある講師であり、私のような、中途半端な実力の気の小さな講師は、腹黒い講師の「操り人形」の如く、ありもしないデタラメを吹聴されたことに疲弊し、業界から身を引くことになる。
世間で見られている予備校講師というのは、如何なる者なのであろうか。「今でしょ!」なんていう講師が大流行になった遥か昔には、授業中にバク転をしたり、授業中に日本刀を引っ提げて登場していた人もいたらしい。ただ、どんな業界であれ、真の実力がなければ「熱病」は醒めてしまうことは必然である。また、キラキラとした世界ほど、裏側ではグログロとしている。芸能界などは、その際たるものであり、そんな世界のゴシップネタに、世間一般の大衆の眼差しは、集中する。
顧客とマンツーマンで、誠意ある対応を心がけて販売をしていた家具販売会社の娘が、顧客を大量に流し込む「低価格の量販店」の販売スタイルに舵を切り替え、父親と揉めに揉める。ゼロから築き上げた会社経営方針を捻じ曲げることの是非は、横に置いておくこととし、自分の思考力を働かせ、この問題から何を学ぶべきかを考えることが大切だ。マスコミに流されるのではなく、マスコミが騒ぎ立てようとしている問題に対する、自分なりの考えを、主体的に関わらせていくことが、賢い「熱病」の対処法であり、利用法ではないだろうか。少なくとも私は、そのように考える。
超高級家具とまではいかない、そこそこの価格の家具。その商品を買いに来るゲストへ近寄っていく販売スタイル。確かに、ゲストを顧客化にする、いわゆる「太い客」にして販売促進をすることは、今の時代のニーズには合わないと思う。あらかじめ買うと決めた商品がある場合を除き、ウィンドウショッピングも兼ねて気軽に足を運べる販売スタイルが、現代社会では好まれているはず。「ユニクロ」などは、無駄にスタッフが話しかけてこないスタイルを敢えてとっているみたいだ。
また、購入する側の高級志向が希薄になり、客単価で勝負するという発想自体が、時代遅れなのかもしれない。このような危機的状況を引き起こす原因のほとんどは「ネット通販」だ。レビューを見て、最安値を調べ、店舗に出向くことなく、快適な商品を手に入れられる。親子関係のゴタゴタも気になるところではあるが、いったん感情的なことを差し引いた状態で、その引き金となった要因を突き止めることも大事だ。資本主義で生きる我々にとって、感情的な出来事の中に含有される経済の流れを読み取ること。それを、優先的に考えることで、マスコミの不要なゴミ情報の中にある、ひとかけらの有益な情報を、自分の意思で引っ張り出すことだってできる。
44年前に、この世に生まれた私を、両親は心の底から喜んでくれたはず。生まれた時の記憶がなくたって、公園で楽しそうに家族で遊んでいる親子を見ていれば、疑う余地など微塵もない。そこには、見返りを求めることのない「愛」という感情が存在している。無償の愛を与えられた私は、成長するということで、無意識のうちにでも、無償の「喜び」を両親へ与えていたのだ。ここに、嘘偽りなどない。命ある生き物全てが、このようなかけがえのない感情を、心の中に秘めている。しかしながら、貨幣経済において、親と子供が、心の底から憎しみ合うという、残酷極まりない状況にまで追い込まれてしまう。カネの魔力は、信じられぬほど恐ろしい側面を持つ。
ただ、経済的自由を手に入れることで、偽りのない純粋な心を「取り戻す」ことができるのも事実。コインにも紙幣にも、裏と表があるように、付き合い方次第で、資本主義社会を丁寧に生き抜く知恵を学ぶ機会は、たくさんある。そして、今、時代が加速度を増して変化している。もう、すでに世界中の人々が、物質的な不自由を感じることはなくなってきている。高級家具も安い家具も、その人の価値観次第で選択すればいい。9時5時で残業まみれで帰宅するよりも、定時に帰り「副業」をすることの方が推奨される時代になってきている。これを、大袈裟だと感じている人は、やがて大きな荒波に呑み込まれていく。
いくら出資しても購入できない「時間」という財産を、いかに守っていくのか。そして、今、財産として認められる価値基準は、口座残高ではなく、信用されている「度合い」と「人数」へ変化している。SNSのフォロワーや、自分の発信する情報を確実にキャッチしてくれる人数こそが、その人の資産価値を高める時代になっているのだ。必ずしも、ビッグウェーブを乗りこなして、大金を得ることだけが美徳とされる時代ではなくなった。「インデックス投資」に代表される、小さな投資を少しずつ積み重ね、やがて「時間」という友と共に、大きな資産を手に入れることを目指す。一朝一夕の付き合いで、大きな交渉すれば「詐欺師」に出会うが、長く発信し続けて得たファンは、この上ない「同志」となる。
誕生日を迎えた今日。昨晩も寝付きが悪く、今朝も10時過ぎに目が覚めた。今、午後1時過ぎ。この時点で、ブログを書き始めて3時間程度経過。これから画像を加えて、全体を整えて、完成まで1時間以上かかる。だが、苦痛は感じていない。何も目的なくゴロゴロする4時間より、有意義なブログ作成の4時間は、この上ない喜びの時間だ。今、雨が止んで、小鳥のさえずりが聞こえる。
2ヶ月前に、スケボーで転倒して手首を怪我して以来、波乗りができていない。痛みがひかない2ヶ月間に耐えられず、先日レントゲンを撮ってもらったが、骨には異常がなかった。痛みが消えたら、春の海が待っている。スケボーとインドボードで予行練習はバッチリだ。「誕生日だから好きな物を何でも買ってあげる」と言われたら、真っ先に「フォイルサーフィンのボード」と即答する。聞き慣れぬ言葉かもしれないが、今後のネオスタンダードとなると私は睨んでいる。一過性の「熱病」に終わるとは思えない。一度、YouTubeなどで、そのエキサイティングな映像を観ていただけたらと思っている。