思考力

噛み合う歯車の全肯定

三日連続になるのだろうか。続け様に釣りに行った。とにかく悪癖から身を遠ざける為に取った行動だ。釣りは素晴らしい。広い海を眺めながら、頭の隅っこのどこかで、穂先が揺れるシーンを待つ。何か考え事をして、ふと気を抜いているときに竿がしなると、興奮状態は最上級になる。人間の脳の快楽物質というのは、このシチュエーションが一番放出されるそうで、来るか来ないかの期待値のバランスが自分のリズムとの波長が合ったときに、また同じ行動を取ろうとするらしい。

さすがに、三日連続で釣りに行き、陽が昇らぬうちに車の中で仮眠をとるような釣りをしていれば、40半ばの私の体力は限界を達してしまい、今朝は深夜の車にエンジンをかけることもできないほどグッスリと眠り、すっきりと朝の6時半に目が覚めた。体内時計の歯車がガッチリと噛み合ったような気がした。こうなってくると、かれこれ半月以上、このブログのテーマとなっている依存症問題の矛先が、釣りであったらいいのにと思ってしまう。釣りは、それに値するほど、十分な価値が私にはある。

楽しい毎日を過ごす為には、お金を垂れ流しにすることではなく、少額のお金をやりくりしつつ、自分の満足感を得ることではないだろうか。お金を少額にするということは、その日のノルマを少ないお金で完了させることで、次回のノルマの要領も良くなるということだ。そして、次のノルマをさらに充実したものにする為に、少額のお金で必要なものを買う。そして無駄がなくなる。この考え方に基づいて考えれば、やはり必要以上の出資を趣味にかけるべきではない。

逆に、悪癖を取り除く為には、少額かお金そのものを持たずに生活することも大切である。お金がないことによって、日々の生活のリズムの振れ幅が少なくなる。そうなれば、一気に依存の対象へ近づくことがなくなってくるのだ。今、こうやって日々の日課であるブログを、淹れたてのコーヒーとともに書いている幸せ。お金などかかっているとも言えぬ出費だ。それでも自分は、十分幸せを感じている。

自分の心の中にある悪の囁きを遮る為には、やはり、自分の没頭できる何かを持っている人。最後に心から笑えるのは、悪癖をしない人ではなく、悪癖を乗り超えて、本当の幸せを掴んだ人であると言えるのではないだろうか。今の私は、そのことを全肯定できるのだ。

-思考力