思考力

冷えた岐路に立つ

今朝は、肌寒かった。もう、扇風機を付けっぱなしにして寝るのは、終わりにしようか。ただ、夏バテというか、夏ボケは続いているようで、粗大ゴミの日に出す予定だったバランスボードを持って集積所へ行くと、昨日が収集日で、また1ヶ月、自分の部屋に「それ」は、居候することになった。その頃には、厚手のスウェットを着ている頃になるだろう。ただ、もしかすると1ヶ月後には、依存症専門の病院に入院しているのかもしれない。今年の2月にスリップした代償は、あまりにも強く私の人生にダメージを与えた。

たった今、洗濯物を回した。残りの柔軟剤も、今月中には無くなる。ここまで経済的に困窮すると、焦りを通り越して「諦め」の気持ちの方が強くなってくる。そして今、何不自由なく予備校に通わせてもらい、何不自由なく勉強する機会を与えてくれた両親には、感謝の気持ちが絶えない。両親が他界してから、感謝の気持ちが湧いてくるというのは、なんとも皮肉なことでもある。せめて、千葉に移住してから、母との思い出を、もっともっと多く創っておきたかった。今となっては、不可能となってしまったのだが。

丸刈り3ミリの私の髪も、もはや「ウニ」のように中途半端に伸びている。頭頂部は薄くなり、前髪は後ろへ後退し、白髪もめっきり増えていた。ただ、私の母の心労に比べれば、私の苦しみなどカワイイものだ。それでも、強い共依存の関係にあった私たちは、強く傷つけあったとも言える。もっと、お互いが距離を保ち、適切な人間関係を築くべきだったのだとも思う。そして、もっと腰を据えて話しをできる時間が、圧倒的に足りなかったのだ。

今、こうしてブログを綴っていると、部屋の外から、冷えた外気が流れ込んでくる。揺れているカーテンも、何やら寂しい気持ちに拍車をかける。アパートの駐車場には、一台も車が停まっていない。みんな、仕事へ行ってしまった。今朝は、スタートから、やけに気分が重い。躁と鬱の狭間で、かなり下向きに心が沈んで行っている。これが一時的なことであれば良いのだが。今は、それだけを願おうではないか。

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