思考力

職人川下がる

どんどん価値観が変化していく。高度情報社会の時代において「それ」は避けられないことではあるが、今回のコロナ騒動で、かなり顕著に価値観の多様性がスピードを上げてきている。多様性といっても、個々人が持っているそれぞれの価値観を大切にしようということもさることながら、一昔前のブランド品や高級車に乗ることがステータスだった時代とは違った、見栄ではなく心の豊かさを基準とした個々人が自分の中に持っている心の満足度に価値を置くようになってきている。価値観の多様性から、質感の変遷とも言えよう。

私が大学生だった頃は、ブランドモノの洋服に、車を乗り回していることがカッコいいというシンボルであったが、今の若者は、車どころか、運転免許を取ることさえ渋っている様子。私から見れば、ゲームやNetflixには高額課金するというのに、身につけるモノに対してほとんど意識しなくなったという面においては、今の若者の良いところのように思いつつ、多少寂しさも残ってしまう。親のスネをかじっているとはいえ、多少の見栄を張ってもらいたいというのも、私の年代からは感じてしまうのではなかろうか。それが、時代の変化というものなのだろうか。

これには、情報が大きく関係している。SNSなどで、外見をブランドモノで着飾るのは意味がないというツイートが拡散されれば、その流れは、過去の影響力を破壊するほどの影響力とともに拡がっていくわけで、テレビの洗脳なんかよりも遥かに早く強く意識に定着する。だから、ある程度、情報感度を敏感にして、そのアンテナから得た情報を感じ取っていなければ、人生はハードモードへと突入するわけだ。情報格差社会などという言葉もあるように、自分の意識を外へ向け、自分の持っている現在の価値観とすり合わせて、人生を考えていくことは、とても大切なことであろう。

ガンコラーメン屋のような一貫したブレない生き方を大切にしつつも、多様化する周囲の環境や情報に対して、柔軟な見解をキープして、それを採り入れていくことは、これからの時代は、特に重要視される。職人気質というのは素晴らしい身構え方ではあるが、職人というのは、時代の変化を正確に読み込んで、自分の中にある多様な選択肢を見つけてテイストを変化させる技術も持ち合わせていなければ、それは二流なのだと思う。激流に逆らって泳いで溺死するより、激流に乗っかって、いち早く下流に到着するのも職人技なのである。

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