思考力

飾られた熱意

今、立った週一回、90分の仕事のために東京へ行っているのだが、ペットボトル飲料片手に東京にたどり着き、チェーン店のラーメンを食って、コーヒーでも飲んでくつろいでいれば、赤字も赤字であり、帰りは特急を使いたくても、なかなか特急を捕まえにくい時間にもなってしまっている。2時間以上かけて帰宅すれば、日付が変わっていて、明らかに継続して働くことが無理だと分かる。昨日などは、自分なりに、物件を探して内見に行っても、部屋が北向きで、さらに真前に同じ建物が目の前に立っていれば、日当たりゼロで、昼間でもプラスアルファで、間接照明までつけなければならないような部屋でしかなかった。

困ったことに、今の職場の仕事が、昨日で終了し、次の仕事まで待機していなければならない状態なので、一時とはいえ、ニートの状態になってしまう。もはや、ニートという言葉を当てはめられない年齢なのだから、無職というレッテルを貼られることにもなってしまう。昨今の物価高の影響で、国民が悲鳴を上げている中、自分も悶え苦しむことになるが、とりあえず悲観的にならずに生きていこうではないか。せっかく、瞑想という儀式を、自分の生活の中に採り入れられたのだから、ガムシャラに何かをつかもうとしても無意味だ。

そんなこんなで、昨日は強制的に日付またぎの帰宅になったのだが、寝る前の瞑想は怠らずに眠りについたのだが、やはり起床時間は後倒しになってしまい、この記事を書いているのは、既に正午過ぎだ。このように、追われるような生活を繰り返していると、自分を内省する時間さえ惜しくなって、多忙の中に自分を置いてけぼりにして、心が塞ぎこまれた状態に陥ってしまうのだろう。そして、生活苦の中で仕事に忙殺された人というのは、悔やんでも悔やみきれないようなトラウマを抱えて、その後の人生のエンジンブレーキとなってしまうような傷を背負って生きていくことにもなってしまう。

「頑張らない事を頑張る」というような本が、最近出回っているが、半分は正しいけど、半分は受け入れがたいものがある。自分の好ましいフィールドで得たタスクに対して情熱をもって動くことができないというのは、とても残念な人生になってしまうのではないだろうか。もちろん、このような痩せ我慢をしている人に対して書かれた本であるのだろうから、的をいていると言えばそうなのだろうが、やはり自分のプライドや生き方には、情熱を注ぎ込みたいものである。そして、出会う人、やり抜こうとしている目標に対して、いつでも誠実に生きていきたいと思っている。これが、綺麗事のように語られるから、先述のような書籍が売れるのだとも思う。

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