思考力

ゴミに埋もれない発信源

 

実に素晴らしい。今、こうやってブログを書いている時間は、朝の7時。残暑厳しく、寝苦しい夜に悩まされ続けていた新居生活で、1ヶ月以上過ごした中で、最も熟睡感を感じられた一夜を過ごせた。まさに、まだ太陽が強い日差しを放ち切っていないわけだから、エアコンをつけずとも涼しい部屋の中で、夏の木陰で休息して文章を組み立てているかのようだ。最近、このブログでよく綴っている起き抜けのホットコーヒーの味は、喫煙者だった頃の1本目のコーヒーのような格別の味がする。それを助長するかのようなピアノの音をBGMにして創るブログ。気分が乗らないわけがない。

このようなベタ褒めの朝を迎えられたのは、やはりプラスの要因をつくってくれた物があるわけで、引っ越してからというもの、ずっとエアコンを付けっぱなしで寝ていた私は、半覚醒状態になった朝に、ガタガタと震えて目が醒めてしまい、コットンのネルシャツを羽織りながら、そのまま眠れているのだかなんなのだか分からぬ状態で、布団に再度潜り込んでいた。なんとか目が醒めたとき、まだエアコンが回っていることもしばしばだった。ただ、昨日、購入したサーキュレーターなる、いわゆる「扇風機」は、首が縦横斜めに動いてくれるから、身体や部屋の一部のみが冷えることはなく、横たわっている私の周りの空気を大きく循環させてくれたのだ。コレは、優れモノ。十分な知識を持ち、いつも細かな説明をしてくれる、馴染みの大手量販電器店のスタッフのオススメで、これまで大きく外したアイテムはほとんど無い。

マンツーマンで他の商品と比較できるという点において、現地で実際の商品に触れながら比較検討をすれば、やはりネットで買い物をするよりも遥かに当たり商品をゲットできるチャンスがある。デザインやネットの口コミだけで判断すると、なかなか後悔してしまうことも多く、価格だけ高い商品が、必ずしも当たり商品とも言えない。もちろん、最近のネットでの買い物というのは、返品にも十分対応していて、後悔先に立たずの状態を回避できるとはいえ、やはり手間隙や時間のエコを考えると、実店舗での購入の方が、現時点での買い物の仕方では優勢だと思っている。

自称ミニマリストとなっている私のコンセプトの基盤は、やはり先輩ミニマリストたちの考え方に沿うように軌道させており、一個買ったら2個捨てるとか、同じモノを持たないとか、一点豪華主義になるとかを実践しなければと考えている。昨日は、この扇風機とポータブル冷蔵庫を買ったので、4つのモノを処分しなければならない。ただ、買う前にリサイクルショップで、すでに3つほどモノを売却しているので、ひとつ捨てればいいという計算に落ち着く。見栄丸出しで、全身エルメスで着飾っていた不動産屋が滅茶苦茶で、ガムを噛みながらの対応だったことを思い出すが、やはり、そのような見栄っ張りにロクな奴はいない。そのような悪い記憶にべっとりと居座っているニンゲンの存在も、シンプルな生活をしていると寛大な気持ちで俯瞰して観ることができる。

かかりつけの医者が、東京のSHIBUYAという都会のど真ん中にいるということで、毎月一回は都会の空気を吸いにいくことになるのだが、今やコロナの報道では、私の行く病院の周辺がコロナの感染者数の深刻な数字の表示のバックに映し出されることも多く、わざわざコロナの空気を吸いに、都会に突っ込んでいくということは避けたい。ウワサでは、かなりの副反応が出るという2回目のワクチン接種を目前に控えているのだが、コレが変異株に有効なのかも分からないし、そもそもの2回目の接種の効き目が、半年程度で大幅に落ちるなどの報告だってある。ワクチンが微妙な現段階で自分ができることといえば、やはり手洗いの徹底やマスクの着用をするというような基本的なことをしっかりと実践することだ。

新型コロナウィルスの情報も含め、SNSで拡散されている情報が、果たしてどこまで信憑性があるのかが分からない。そうかといって、今までの新聞やテレビの報道が確実だったのかといえば、必ずしも完璧な情報ではなかったということもある。コロナの感染者数を報道することひとつでも、不安を煽るような報道の仕方というのは、視聴者の錯覚を引き起こしているのだから、その報道が正確に受け手に伝わったとはいえないのではないだろうか。各メディアが若干違う報道をしているということは、そこには多少なりともデマが含まれていたということにもなる。

さらに危険な情報というのは、現代の”SNS”の情報であり、まさに何の根拠やデータもない「ど素人」が発端となって拡散された情報だって非常に多い。正確な情報が飛び交うことは、とてもいいことだと言えるが、素人の出したデータもないような主観に依存した不正確な情報や、根も葉もない根拠で流れ出たデマというのは、一度発信されたら、物凄い勢いで一人歩きをして、もはや完璧に抑え込むことはできない。これに対して、情報が流れ出すスピードが、かつてとは比較にならない現代において、いかに被害を少なくするかを考えなければならない。

どこまでが真実かも分からぬ誹謗中傷が原因で、自らの命を立ってしまった芸能人もいたが、個人の発信の自由という観点から考えると、このような匿名性を悪用した殺人まがいの無慈悲な情報を後押しをするようなSNSの情報発信の規制は、ますます困難になると思われる。良いか悪いかは別問題になるが、とある心理学系のYouTuberの失言で、大炎上が巻き起こったような、影響力のある人の発信に対する世間からの監視の目も鋭くなっている。ひとつの失言が大惨事を巻き起こしかねないもであれば、影響力のある人たちの発言には、重い責任が乗っかってくる。

これまた話が複雑化してしまうのだが、影響力のある人たちが、あまりにも守りの姿勢でいれば、その影響力そのものが薄まっていくことは間違いなく、20年前の民放のテレビ番組が考えられぬほどメチャクチャな企画を用意していたが、現在では多くの強い規制がかかり、民放のテレビ番組の放送のほとんどが守りの企画内容に陥ってしまったのと同じ道をたどりかねない。テレビ番組は、製作者側のスタッフの監視の目が装着されている一方、個人の発信は、そうはいかない。現代の情報の広がり方というのは、スマホの画面をタップした瞬間に、自分の悪意とも取られかねない発言が一気に加速し、その猛烈なスピードと勢いは、一気に飛び火する時代なのだ。

やはり、とんでもないスピードで拡がっていく自分の発信には、最新の注意を払うという、ルールやマナーを、個人が常に意識する他ない。逆に考えると、現代の個人の考えの着火スピードが猛烈な勢いであるのなら、それを利用して自分の意見の注視してもらい、実りある情報を拡散するチャンスでもある。現在では、自費出版した本が持つスピードと影響力など、ほとんど無いに等しいが、今はインターネットを利用して、自分の考えや意見を、数倍のスピードに乗っけて、発信することだってできる。この発信源となる自分の価値そのものを高めることを意識し続ければ、驚くほどの効果が期待できる。

その自分の価値というのは、今で言うフォロワーの数などの可視化できる数字が信頼度の目安となっている。ゴミのような情報の中で、自分の意見を通すためには、自分の中に秘めている自分にしか出せない価値のある発信を続けつつ、自分そのものを高い位置に置く努力をすること。ネオスタンダードとなった個々の価値基準は、多くの人が断捨離していく情報の中で生き残り続ける情報となり得るのかどうかにかかっているのだ。

 

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