思考力

得る為に、飛ばす

全てのタスクを完遂するためには、最後まで一気にカッ飛ばすことが大切。脇目もふらない。とにかく最後まで「目を通す」。完遂するということは、必ず最後までそのタスクの細部と向き合うことになるのだから、とりあえず「保留」の部分は残しておく。一つに囚われれば、全体は見えなくなる。木を見て森を見ずの状態。ただ、これがなかなか難しい。パーフェクトを目指すがあまり、細部が気になり出したら止まらない。全体のバランスは崩れ、結局のところ、完成とは程遠い「不細工」な結果しか残らないか、ミッションが完遂されること無く、全てが終わってしまう。さらに、次の大きなタスクを命じられたとしても、以前の不甲斐なさと重なり、全てが重く感じ、モチベーションそのものが上がらなくなってしまう。かくゆう私もその一人であったし、今でも同じようなことを繰り返す。

例えば、このブログ記事であっても、「カンツイ」という漢字が変換されず、なかなかキーボードが進まなかった。ここで立ち止まるか、一気に書き上げてしまうか悩みどころだったが、意を決して、化石化しつつあった「電子辞書」というアンモナイトの殻をパカッと開けると、完遂の読み方は、「カンツイ」ではなく、「カンスイ」の誤読と知った。さらに、電子辞書の比喩表現の「アンモナイト」が、自分のイメージかどうか調べたら、やはりイメージ通りの「オウム貝」状の化石動物だった。このような場合、電子辞書に手を伸ばしたことというのは、積極的にブログを書き進めようということにつながったのだから、全体像を前向きに立て直したということになる。どの場面で、どこまでの足踏みをするかというのは、その時の経験と力、または体調や運気にも影響される。

今日、東京に行って、久しぶりに英語の入試問題らしい問題を解いた。制限時間25分のわりには、やたらと細かい活字で埋まっている。このような場合は、イージーな問題の連発で、ミスを許されないテストか、ハードな問題で、どこに重きを置いて解いていくテストかという二つのパターンがある。いずれにしても、フルマークを得るためには、全ての問題に打ち当たることになるわけだから、閃かなかったら積極的に飛ばす。昔、アイドルが「ビビビ」と来たから結婚しましたという軟弱なことを言っていたが、「ビビビ」と来ない問題に「ムムム」と鼻息を荒くした瞬間に、出題者の思う壺に入れられており、蓋を閉められて場外へ放り出されてしまう。「合格点を取る」ために飛ばすという弱気な気持ちではなく、「満点を取る」ために飛ばす。この術をわきまえている者は、強い。自分ができないことを認めつつ、蓋を開けてみたらフルマーク。振り返れば、自分の描いた線が、見事に脈を打っている。この快感は、受験問題を解いている時に感じるエクスタシーであり、ビクビクして問題を解いている腰抜け共を蹴散らすスピードだから、実に気持ちがいい。出題者は、実力が伯仲している者同士を争わせる時に、その者の実力ではなく、その個人が持っているポリシーや、鉄則のようなものを試している。ここでいう「スピード」というのは、情報処理能力とは違うもので、不安に打ち克つための気構えを持っていて、分からない問題をとりあえず自分の脇に置いておき、戻ってきたときに「美味しく」食べるためのデザートのようにしている者の持つ、クールでカッコイイ解く姿勢だ。

私は、昨年勤めていた学習塾で「Live授業」というグループ授業をしていた。実力が同じくらいの生徒を3人参加させ、自習室に所狭しと並んでいる過去問の中から、適当な志望校の問題の開いたページを即興で解くという授業。これは、とにかく盛り上がった。どんな結末になるか分からない。ただ、どんな問題であろうと、問題に対処する際の私の視点が、どのように動いているのかが、生徒には手にとるように分かるので、生徒たちのアドレナリンも同じように上がって、溢れ出していく。そして、生徒たちが驚くのは、私が、ほぼ毎回フルマークを出すことではなく、職業として英語を教えている私が、ふざけているのかと思うほど問題を飛ばすということだ。

「ハイ、分からない!パス!」「解き心地がイマイチ」「後で振り返ってみよう」など、あっけらかんと飛ばしてしまう。こうなってくると、生徒たちの安心感が、どんどん高まっていくのだ。曲がりなりにも塾の講師たる者が、問題にサッサと見切りをつけて、飛ばした問題を「嬉しそうに」解き直す。そして、絡まっていたアタマの思考回路が、スッキリとした状態で、芋づる式に答えを出す。「問題文を見なくても正解が分かる!」という80年台後半の化石のようなインチキ授業が他校舎で行われている中、私はタネも仕掛けもない状態で、空手であっさりと問題を解いてしまう。そうなってくると、私のDNAをしっかり受け取ってくれた生徒たちは、どんどん自信を持って問題を「飛ばし」てくれる。実に気持ちがいい。

いいじゃないか。最初はわからなかったとしても、とりあえず置いておいて、アタマがクールになった時のデザートだと思っていれば。そんなこんなで、こんなに飛ばしてしまういい加減な講師に対してのクレームが、上位校狙いの生徒から来ると思いきや、実際に食い入るように参加してくれたのは、上位校狙いの生徒たちばかり。やはり、そのような生徒たちが一番欲しかった最後の教えというのは、「いつでも完璧でいなさい」なんていう正統派熱血講師の激励ではなく、「とりあえず飛ばしておこう」という少しだけ変わった茶目っ気のある反面教師の潔さだったのだ。

わからない問題に対して、いつまでもグズグズグズグズして、挙げ句の果てには、やる気もなくなって投げ出してしまうより、「こんなに【ビビビ】が来ない問題なんて、なんて素敵なんだろう!とってもおいしい問題をありがとう!」くらいのドンと構えた姿勢の方がよっぽど前向き。これは、どんな問題であっても一緒。ビジネスでも、はたまた恋愛であっても。ちなみに、今日受けた試験で、大問1の(1)が、いきなり「ムムム」になりかけたので、かなりワクワクした。問題構成もよくできており、一定の学力があるというのは条件とはいえ、少しでも立ち止まると、たとえ実力があってもタイムオーバーになるように作られていた。素晴らしい。そして、一頭最初の問題へリトライしたら、やってきました「ビビビ」!答えを書き込む寸前に、さらに閃きがあって、さらに仕掛けがしてあることに気づいた。そんなわけで、素晴らしい問題だと出題者を、心の中で褒め称えていたら、思いっきり考えすぎ。帰りの電車の中で、Google先生のオススメサイトを上から閲覧していくと、私の「ビビビ」は、第一波で終わっていればよかったという結末だった。

とりあえず、“Nobody is perfect. No problem.”。

 

久しぶりにアドレナリンが出たので、万事OKだ。

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