思考力

柔の連絡通路

瞑想も、いつでも上手くいくとは限らない。そんなことは分かっていた。昨日は、横になって行う「スキャニング瞑想」が上手く効果が出なく、ベッドで横になりながら、iPadを見ていたら、案の定、眠りにつくことが難しくなってしまった。しかしながら、瞑想をするようになる前に比べたら、はるかに眠りに落ちるのが苦ではなくなったのは明らかだ。アメリカなどでは、一流企業が業務の中に「瞑想」を取り入れるくらいだから、やはり、その効果が多大なものだということが理解できる。

今日は、カラッとしていて、優しい日光が、部屋の中へ射し込んでいる。カーテンの揺らぎ方も、まさに風のリズムに合わせて踊っているようだ。アパートのポーチで、ブラックコーヒーを飲み、デスクでリンゴをかじる。やはり、賭博場などに行くよりも、はるかに穏やかで、心の生産性というものがあるのであれば、とても前向きになることは明らかだ。これも心を穏やかにする習慣を身につけつつある自分に与えられた特権とでも言えるのだろう。少し大げさかもしれないが、今はそのように考えることが大切だ。

昨日、30年前くらいのアニメの「YAWARA」という柔道アニメを観ていた。当時は、毎週欠かさず観ていたわけではなかったのだが、今、この歳になり、YouTubeという素晴らしい動画配信サービスにより、自由に名場面をくり抜いた動画を閲覧できるようになり、「YAWARA」を観ていたのだが、なぜかポロポロと涙が出てしまった。感動にはプロセスが必要だと思っている私だが、やはり、視聴者を釘付けにし、心を鷲掴みにするような作品というのは、その紆余曲折を描くことに長けている。まさに、そのアニメは素晴らしいストーリー展開ばかりだった。

私個人の見解なのだが、恋愛物語や青春ドラマなどの緊迫感を破壊してしまったのは、携帯電話だと思っている。待ち合わせの場所に、相手を想いながらずっとたたずむ。すれ違いが、自分の心を揺さぶる。無き連絡が来たときの喜びや、来ない連絡に痺れを切らせて立ち上がる緊張感など。今では、携帯の電話機能を使うことすらせず、LINEでチャットを送れば、相手が読んだかどうかさえ分かってしまう時代。快適な利便性が、感動を蔑ろにしてしまったような、寂しい感じもしないでもない。

世代ごとに人間関係のあり方も変化している。これは間違いない。ただ、変化している時代を生きているのは、老若男女問わず同じだ。だから、これからの変化の中に身を置かなければ、新しい人間関係を作りづらくなることは難しくなる。ただ、過去の不自由な連絡経路の時代に感じていたジレンマを思い出し、今に活かせるような人材であることも同じく大切なことであると思う。

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