思考力

感謝の順番

腹式呼吸というのも、慣れてしまえば苦しくなくなってくるもので、呼吸に意識を向けない状態でも、座っている間は腹式呼吸になっている。やはり、人間は、最初に意識的にやらなければならないことに対しては、多かれ少なかれ苦痛のような感覚を感じてしまうものだが、習慣化してしまえば、自分の意識から離れて、当然のように自分の中の一部として摂り入れることもできるようだ。このように、頭では分かっていたり、一般的に言われていることであっても、やはり何かを習慣化するというのは難しいことであり、この年齢になって新しい習慣化できる事を身につけられるという期待を抱けることは、とても嬉しいことだ。

しっかりと睡眠もとれて、カーテンを開けると日光が降り注ぎ、カーテンを揺らしながら微風が入ってくる。こんなに気持ちのいい朝を迎えられるのは、本当に感謝したい気持ちになる。誰に感謝するというわけではないのだけれど、やはりそれは、自分の中にいる自分のような気がして、つい数ヶ月前から悩んでいた「もう一人の自分」の存在を認め、それに感謝しているのかもしれない。もしそうなのであれば、私がブログで書き綴りながら追い求めていた「内なる自分」の存在を、瞑想という観点から見つけ出せたことになる。そう考えると、やはり文字を書く習慣の中では得られない、違う作業の中で、自分を見出せることだってある事を実感する。

若い頃、昼夜逆転したボロボロの生活リズムの中、何も得られずに悶々としていた。今考えると、なんてもったいない事をしていたのだろうかと後悔してしまう。こればかりは、いくら後悔しても仕方がないのだが、やはり自分の中で、本当に無駄の多い人生だったと反省している。これに気付けただけ良かったというお決まりの台詞は書きたいと思わないが、自分の中で、そのような夜型の時を経た人生を、いかに消化して納得させるかというのは、これからの課題でもある。

感謝する心。それは、すなわち自分自身を肯定することから始まるのかもしれない。自分自身に感謝できないような人が、他者や周囲の環境を、いかに感謝できようか。自分ありきというわけではない。自己肯定できたものこそが、初めて他者に感謝をする。つまり、自分のことに疑念などをもつ者が、他人に感謝をしたとしても、それは単に上辺だけのスカスカな同意に過ぎないのである。自分の中にいるもう一人の自分の存在に気づきつつある今、もう少し内観して自分を見つめ直したいと思う。

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