思考力

へばりつく

今朝は、相当冷え込むらしい。私は、毎日のように、夕方から夜に差し掛かった時間に寝て、日付が変わったあたりに起きるので、底冷えのするような冷えは感じていない。今も、目が覚めてから、そのまま溜まりに溜まったゴミ出しをして、気分爽快である。昨日は、ずっと処分に困っていた業務用の大型ホワイトボード、マガジンラック、昇降式のデスクを回収業者に引き取ってもらったのだが、一気に部屋のスペースが広がり、今日は、念願の冷蔵庫、電子レンジ、ケトルなどを買いに電器屋へ行く予定だ。買い物依存丸出しだが、このまま良いペースを、わざわざ崩す必要もなかろう。

人間、長い間、床にふけっていると、あまり良いことは思い浮かぶことはなく、寝込まなければならなくなったときのことを、心の底から悔やむようになってしまう。例えば、今年一番のアクシデントである脳挫傷であれ、腹が減っていたからといって、わざわざ眠剤が効いた状態で牛丼を食いに行くなんで無謀なことをせず、冷えた飯でもストックがあれば良かったのだと後悔先に立たずだった。そんなわけで、本日、再び電器屋に行って、冷蔵庫を買わなければならない言い訳を思い付いたりもする。

HCUから移動した先の一般病棟の中でも、症状の重い患者が入っている大部屋は、なかなかに辛い空間であり、叫び声やうめき声が止まらない患者ばかりだった。そんな中で拷問の如く味わったことは、私は人生で味わった、あらゆる種類の頭痛のオンパレード。とにかく少しの音でも、頭をキツくぶっ叩かれる痛みのオンパレードなので、時が過ぎるのを待つしか方法がなかった。

次に行われた体のリハビリでは、頭のリハビリや、歩行訓練だったのだが、初めての知能検査は、頭が痛くて、腰の骨も折れているので、歩行器を使ってもまともに歩けない。それでも知能検査のテーブルまで歩いて行かなければならない。まさに拷問。しかも、何をやったのかも思い出せぬほどの苦痛と激痛。退院間近に聞いたのだが、私の最初の知能検査は、80代の認知症のレベルで、10段階で2程度しか出ない有様だったそうだ。しかも、ほとんどが「イタイ、帰りたい」という返答だたらしい。

人間、絶望と痛みや苦しみの渦中にいるときは、周りが暗闇のように思えてくるばかりで、本来の恐怖そのものさえ見失ってしまうものだ。ただ、いつでも自分の人生の危機を意識さえしていれば、急に周りが真冬の寒さになった時でさえ、いつも通りの緊張感で、寒い中でも高いパフォーマンスを発揮することだってできる。苦しみの渦中にいるときの恐怖を拭い去ることはできずとも、いつかそこを乗り越えられると信じ、そこから見える明るい展望を期待することだってできる。生に絶望はないのだ。

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