思考力

心地よい缶詰の中で想う

ホテル療養、最後の朝食を終えた。お昼過ぎには、自宅に戻っているだろう。発症してから10日間、行動を制限されたとはいえ、やはりビジネスホテル。狭いながらも、3食昼寝付きで、快適に過ごすことができた。入所前の悪寒や頭痛、身体中の痛みなどが消え、ここまで回復するなど思えぬほど軽快に動けるようになった。

泥酔した時などに思う。こんなに目がクルクル回っているというのに、これが元通りになるのだろうかと。骨折したときにも同じようなことを考える。今回のコロナ感染も同様だった。そう考えると、人間の回復力が脅威的であること、たいていの病気や怪我というのは、時と共に癒されるということを知る。

これは、心の傷にもいえることなのだろう。今だに思い出してしまう過去のトラウマ。具体的には書かぬが、その相手の顔の輪郭そのものを、クッキリと思い出せる。頭に血がのぼり、胸が苦しくなる。こんな憎しみであれ、いつかきっといえる日が来る。このような世界を震撼させている病原菌との闘いを負えようとしている時に、自分の怒りを抑えられる術が、時間であるということを再認識する。

うつ病は、心の風邪などというが、まさしく時間が過ぎるのを待ち、下手に動かないで安静にすることがベスト。十分な休養と栄養と食事。これを自らが進んでとれる状態になれたときに、初めて回復傾向にか向くことができる。それを信じられずに無理に動けば、必ず失敗の道しか残されはしない。

時間が必要なのだ。人の心を癒すのも成長させるのも。必要なのは時間なのだ。流れゆく時間に身を任せ、心が宙に浮いたときに、自分の心身の健康を信じられる時が試されるのだ。

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