思考力

歯肉と体験を抑える

薬を減量し、今日は朝から残眠感もなく目が覚めた。ただ、そのまま立ち上がって何かを始めたかというとそうでもなく、布団の中でグズグズというか、微睡続けたいという気持ちで、ユラユラと反覚醒の状態を楽しんでいた。昨晩から、軽いぎっくり腰のような痛みが継続していて、なかなか動くことが億劫な状態でありつつ、数日前、いやもっと前から火傷した歯茎の痛みがあり、まともに前歯で食べ物をかじれない。歯ブラシが当たろうものなら、飛び上がってしまう。歯医者に行きたくても、こんな腰の状態で診察台に寝転がるのも無理があるし、とは言っても、このまま歯茎が腫れ上がったままなのであれば、食べ物だって食べられない。なかなか不調が長引いてしまいそうだ。

今、出来立てのコーヒーをすすったのだが、熱さが歯茎を刺激する。床屋にでも行こうかと思えど、これまた今の腰の状態だと、明らかにシャンプー台へ前屈する姿勢は取れない。今日は、一体何をすればいいのだろうか。二十歳の時に、椎間板ヘルニアを患った時、寝ることのみが治療だと言われた記憶もあるが、やはり今はそんな時なのだろう。また、これはスピリチュアル的に、焦って動くべき時ではないという暗示なのかもしれない。そのように良い方向へ思考を向けなければ、この酷暑の中、自分自身が参ってしまう。

やることがないという点に関しては、去年のナマポのときと同様だが、実際のところ経済的には今の方が恵まれているわけで、経済状況と精神バランスというのは、実にシンクロしていると言える。この事実に抗うことはできないし、これを否定することというのは、やはり本質そのものを見失ってしまうことになるのかもしれない。世の中、お金が全てではないといえど、やはり「お金」という精神安定剤のようなものがあるのとないのとでは、生活の質そのものが、全く異なってしまうのであろう。いや、これは確実なことだ。

本質を脇に退けたままの議論というのは、やはり空論にしかならず、本質ばかりに囚われた議論というのは、創造性が含まれないカチカチの展開にしかならないような気もする。前提として考えておかなければならないことを排除するべきではないが、本質を見極めるためには事実をベースに考えていかなければならない。その事実と言うのは、個々人の経験に基づくものでもあるので何ともいえないところではあるが、やはり多くの体験を経た人の基準というのは、とてもリアルである。それならばやはり、実体験に基づくデータというのを基盤にできるよう、多くの体験を経験すべきた。そうすることによって、自分の思考というものを、他者へ正確にアピールできることになるのだと思う。コーヒーに刺激を受けながら痛む歯茎をベロで押さえながら、そんなことを考える朝であった。

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