思考力

心のエンジンブレーキ

何が何だか分からない寝起きの悪さ。フルパワーで起き上がると、フライドチキンの紙袋とコーラのペットボトルが、床に転がっていた。寝つきも相当悪かったようで、寝る前の薬を飲んでから、あせって眠れなくなり、睡眠薬特有の空腹を感じ、最寄りのフライドチキン屋へ行ったことを思い出した。記憶が曖昧で、その店まで歩いて行ったことは思い出せるが、何を注文したのかが分からない。呂律が回らないまま、レジで注文していたような記憶もなくはない。こんな状態が続くのであれば、明らかにエンジン付きの乗り物に乗ってはいけない。当然だ。

明後日は、やっとのことで東京の病院へ行くのだが、ここ最近の睡眠の質が、一気に悪くなったことや、過去のトラウマにのたうちまわるほど苦しめられていることを報告しなければならない。多少大掛かりな薬の変更を余儀なくされそうだ。ここ数ヶ月は体調が良く、薬の量も種類も全く変更はなかったのだから、やはり最近の精神的不調は、厄介なところまできている。このブログを読んでくださっている方なら分かってくれると思うが、一月は食べ物を買う金すらなくなり、そんな中で過去の悪党の顔を思い出していたのだから、具合が悪くなるのも、至極当然と言える。

昨日は、5時間以上、独りでカラオケを歌っていた。やはり独りで行くメリットは、誰も知らない曲を、心置きなく歌えることであり、上下関係も年齢差もないわけだから、やはり自分の快感を高められる最高のレパートリーを組み立てられる。この年になってくると、やはり令和の歌に興味も関心もないし、歌える歌というのは、1990年前後の歌に偏ってくる。それでも、自分独りであれば、誰とも無理に歩調を合わせる必要もない。それこそ、完璧に音調を取れない曲であれ、文句を言ってくる人もいないのだから、最高である。

最近のスシペロ事件などで大炎上しているツイッターやインスタであるが、私の憩いの場でもあるようなカラオケボックスで火炎放射をする大バカ者まで現れた。こんな迷惑者というより、殺人未遂犯のような者に危険を感じなければならなくなるとしたら、日本の治安もどんどん悪くなっていくのかと多少の不安が残る。とはいえ、私が日頃よく利用する道には、かなり危険な爺さんもいて、その年寄りは、通る人通る人に怒鳴り声をあげたり、車に罵声を浴びせかけて自転車に乗っている。私も一回、わけのわからぬ怒声を浴びたのだが、背筋が凍る思いをしただけで怪我をすることはなかった。連日、その道でうろうろしているので、正常な判断ができる人ではないのだろう。

何を善として何を悪とするかの境界線というのは、その人その人で境界線のラインは違えど、やはり自己承認欲求を満たすためだけに、何かに損害を与えることだけは避けなければならない。それは、サッカーでキーパー以外が手でボールを扱うことが禁止されているのと同じくらいの常識である。その常識の範囲内で自らの力を発揮し、それを最高の状態で披露できてこそ、本当の他者からの称賛という栄誉を得ることができるのだ。間違った方向で見ず知らずの人に怒声を上げている年寄りもいれば、SNSで自分の悪行をシャレで発信している若者もいる。そう考えたときに、自分も同じような迷惑を誰かにかけ得る危険性があると考えなければ、そのような危険な人たちと同類になってしまう。やはり、私が再びハンドルを握る可能性は、どんどん低くなってしまうようだ。

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