思考力

私の鬱が一番酷かった、初めて学習塾の講師をやっていた頃。大学3年の秋に、徐々に自分の指導の熱意と当時の自分の学力と噛み合わなくなり、双方が摩擦を起こした。そんな運悪き時にそこの塾長に酷く怒鳴られたことが発端となる。もちろん、それが全てだとは思えないが、当時の自分には、その怒声が全くの鬱の引き金だと思い込んでいた。その塾に入る前から、精神的不調が続いており、そこでは統合失調症だという誤診を下されたまま生活をし、合わない薬を服用しながら大学生活を最後まで凌いだ経験がある。「アカシジア」という地獄の苦しみは、今でも忘れられない。

私が大学生の時には、今で言う「ガラケー」を持っていると、スゴイと言われるような時代で、多くの人は棒状の携帯電話を持ち歩き、ポケットの中で知らぬ間に通話モードの状態であれば、次の月の請求額に青い顔になることになっていた。いまや、そんな棒状の携帯は病院のスタッフがポケットに入れて持ち歩いているくらいで、街中で使っていれば、希少価値の高い人として称賛されることとなるのかもしれない。ただ、今回の記事で私が述べたい事は、携帯の形状の話なんかではなく、その発達の裏側にできた進歩であり、その凄まじい進歩が、いかに人々を変えたのかということである。

私の陥っていた人生最悪の鬱の時代では、とにかく寝ることしか治療方法はなかった。今は亡き母が、少ない情報からも、いろいろな病院を探し、なんとかしてその病院へ入院させようとしてくれたが、とにかく昼夜逆転をしており、鬱の回復の兆しなど全く見えず、とどめのアカシジアが生涯治らないと思い込んでいたので、どの病院もすぐに退院していた。経済的負担だけではなく、どれだけの心労をかけてしまったのか。最近では、本当に母に迷惑をかけてしまったことばかりを思い出す。

そして、自宅では暗い部屋の中、布団にうずくまりガタガタと震えている。タバコと酒しか楽しみがない。あと、当時唯一の暇つぶしといえば、テレビだった。朝から晩までテレビを観る。それしか時間をやり過ごす術がない。ここまで来ると、大学の必修の授業は強制的にでも出ないと卒業できなくなるので、重い鉄亜鈴を持つような身体で、意を決して大学へ向かった記憶がある。この時の気持ちの沈み方は、異常だった。そして、今回の記事の一番言いたい事は、この頃の私は、こんなに以上な状態を味わっているのは「世界で一人きり」と思い込んでいたことだ。

今は、当時とは比較にならないほど、インターネットが身近になり、生活の中に完全に溶け込むようになった。私の頃は、まだメールもない時代。苦しさを誰かにシェアしてもらうときは、電話をするしかなく、それがどれだけハードルが高いかを今でも感じる。電話は今でも最終手段だ。今、自分の症状をネットで調べれば、いろんなメンタルクリニックが見つかり、ご丁寧にもクチコミまである。その院長の経歴や病院の方針や得意とする治療法まで様々だ。まだネットが普及する前の精神医というのは、「薬配り」などと揶揄されることも多かったが、ここまで精神を病む人が多いと、そんな悪行ができなくなることは、当然である。

私は、鬱が酷かった大学生の頃には、こんなにも気持ちが沈み、自室で寝込んで指先一つ動かせなく、自死ばかりを乞うていたとき、今のような有益な情報などなかった。今のネットでは、精神科医のブログや、精神科医そのものがYouTubeで病気の深刻さや対処方法を解説している動画だってある。また、心を病んでしまった人の末路などは、やはり自分が同じような道へ進んでいただけに、共感できる面が多々ある。こんなにも、安心できるなんて、本当に良い時代になったものだ。過去に酷いうつ病に苦しんだ経験を持つ私は、切にそう思っている。

気づけば長文を綴っていた。書いている間に、アパートの駐車場の車は、全部出て行ってしまった。みんな仕事へ向かう。私は何もない。明日の東京の精神科の受診まで、休んでおこうかと思う。

-思考力