思考力

吉原で舞う

深く眠り、ふと目が覚めると、まだ辺窓からの光は暗かった。いつものようにコーヒーを淹れれば、コーヒーメーカーの蓋が閉まっておらず、いつかやってしまうだろうと思っていた、空焚き運転をしてしまった。眠り薬がまだ体内に残っているようで、足元もおぼつかず、何度もベットに転倒してしまう。さらにさらに、こうやってパソコンの電源を入れて、キーボードを弾いている手も、半分眠っているので、タイプミスや誤変換も多い。ふと、窓を全開にすればm「辺りはまだ一面、暗がりがあった。時間は、午前4時前。それは、眠いのも当然だ。

何が原因かを考えてみる。酒の力を借りなくなってムルようになったことなのか。汗だくになって自転車に乗るようになったからか。はたまた昨日の一人カラオケなのか。どれも当てはまりそうだが、やはり、一人カラオケが一番濃厚だ。何せ、昨日は、カラオケ史上初、歌わないインターバルの歌を流していたら、強くその曲が私の涙腺を刺激したのである、カラオケの歌詞が流れていて、そのライブ画像を観て、歌詞を思い浮かべていたら、前半の1分も満たないところで、涙が止まらなくなった。

和楽器バンド。和楽器をまるで、パンクやメロコアのようにして、曲を仕上げるのだ。この歌は、同じアパートに住む男性と、千葉北部にある海鮮丼を食べに行った時に流れていたのだが、私は、そほどの興味を抱かなかった。そして、同入居者が、私の部屋に遊びにきた時に、やはり、その和楽器バンドをBGMにして、酒を飲んだのだが、和楽器を使ったロック調の歌というのは、とても斬新だと思ったものの、それでもやっぱり、自分で積極的に聞こうとまでは思っていなかった。

そして、昨日である。カラオケのレパートリーが、なかなか増えていなかったり、サビの部分しか知らない曲などが多くて、自分の中の定番ものしか歌えないというのは、マンネリ化してしまう。ただ、1人で歌うわわけだから、だが、周囲に迷惑をかけることも、空気を読んで選曲しなくても問題はない。さんざん歌い、喉の緊張をリリースするために、休憩の意味も込めて、空の曲をBGMにし、選曲するようにした。そこでたまたま選んだ曲が、和楽器バンドのライブ映像だった。

吉原で体を売る女性を描いた歌なのか、そのリズムと歌詞、そして、傘とセンスを操りながら、優雅に歌い舞うボーカルの女性。もはや、自分の感動する心を制御することはできなくなっていて、思わず泣いてしまったというわけである。泣けるということは、心のどこかの大切な所が、強く刺激されているということを、自分の中では解釈している。今、私の経済状況を考えれば、家にジッとしていることが最善なのかも知れない。ただ、こうやって、何かの拍子に、心のどこか大切な部分が、何かと共鳴するというのは、とても大切なことなのだと思う。

今日、まとまったお金が入ってくる。未納のお金もたくさんあるので、すぐになくなってしまうような金額。それはそれで構わない。今は、お金をかけなくたって、安っぽくはない、本当の感動を知ることができるようになったと、実感できるのだから。

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