思考力

ゆるい流れ

完璧主義。私も漏れなく「それ」にあたり、何事においても、自他共に納得のいくような結果を、必死になって求めてしまう。するとどうだ。何かを始めた途端、一気にエネルギーを消耗してしまい、そのタスクそのものを完遂できずに投げ出してしまう事が多い。何事においても、手を抜くのではなく、まずは与えられた命題や、自分の達成しなければならない仕事や目標を達成してから、そこに本格的なこだわりを持てばいい。そうしなければ、自分自身が、いつまで経っても三流以下で終わってしまうし、他人に大きな迷惑をかけることになる。大きな物事を受け続けていたいなら、ある意味では完璧を演じることは避けた方がいい。

このような人生をつまらなくしてしまうスタイルを、自分の生活の中で何度も繰り返していると、何かを達成するという時の幸せな時間や瞬間というのは、人生の中でガリガリと削られていく。やがて、負の思考回路ばかりがグルグルとアタマの中を支配していくことになる。だから、人生が劇的に変化するような魔法の思考回路を見出せなくとも、ジリジリ刻みに人生の時間を奪われていくような考え方や習慣を手放していかなければならない。例えていうならば、ある依存症にハマってしまうことに気づいたら、その対象から身を引く賢さを持ち合わせていなければ、どんどん悪癖が身についていくようなことと同じだ。

人生を豊かにしたいのであれば、柔軟性という「ゆとり」が必要である。お金をかけずとも、ゆとりある生活というのは、十分におくれるはずだ。現在、ナマポ受給中の私ではあるが、その条件として車が運転できない。そこでできる範囲のことを探し、徒歩で散歩すれば、日の光を浴びて、とろけていくような身の回りの環境や時間の中で、ゆとりが溢れていることに気づくし、本当の幸せの定義というのは、その人自身の価値観によるものだというのが、本当によく分かる。公園の芝生の中で、やっと二本足で歩けるようになった幼児を見守りながら、幸せそうにその成長を見つめる親の目の輝きというのは、単身の私には味わえない。

自分にとって、本当に大切なことというのは何だろうか。時間にゆとりがある、ナマポ受給中の今こそ考えるべき命題であるのかもしれない。そのような時間がゆっくりと流れる今でこそ、じっくりと考えるべきなのだ。

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