思考力

生い立ちの前

最近の精神的不調を引きずりすぎて、明日の精神科の受診を逃してしまうのは賢くない。だから、もう前乗りして東京にいる。東京に向かう前に、千葉の弁護士事務所に行って、パワハラの件で訴訟を起こすかどうかの相談をしたのだが、やはり時間の経過や、証拠不十分なことからも、もはや諦めるという選択肢が最良であり、今後の自分の人生の充実を図る方が、明らかにマシだった。仮に、訴訟を起こしても十分に勝ち目があると断言する弁護士がいたら、それは手付金が欲しいだけの詐欺師のような存在なのかもしれないという着地点となった。

いつもの渋谷のホテルの予約が取れず、他の候補を探すと、私の生まれ故郷のホテルの空室があった。まさに、私が生まれ育った場所から徒歩で10分もかからない場所にある。あまりにも近すぎて、幼少期からこんな建物もあったという記憶だけは確かに残っていた。

最寄りの駅は、小洒落た店が次々と出てきて、街並みが一新されていた。一新というか、私が5年以上居なかったのだから、大きく変化するのも当然だ。ゆっくりと生まれ育った場所を歩く。新築の建物が多くなっている。昔からよく遊んでいた公園も、通っていた学童も、その近くの小学校も外観が変化している。もちろん、中身だって変わっているのだし、それに伴って時間だって経過しているのだから、教育に関する取り巻きだって大きく変わっていったのである。

風景を写真に収める。とはいえ、あまりパシャパシャとシャッターを切っていては不審者扱いされてしまう。遠慮しながらスマホに記録していく。通りがかりの主婦同士が挨拶している。私より若い主婦たち。時間は私を置き去りにして、新しい風を受け入れてしまったのだろうか。そんな訳の分からないことを考えながら道を歩いていた。

思いもかけない人と会った。共通する知人は他界していた。やはり、時間は確実に経過している。実家は売却したので、更地になっていた。もう、ここに戻ることはないし、もう一生この更地と化した土地を見ることもないだろう。道も、人生も、もう折り返しているのだ。いま、ホテルの部屋で、iPadの画面を叩きながら記事を書いている。この習慣だけは変わらないように続けたい。

駅で、chatGPTの書籍を買った。もう、こうやって人間が文字を入力する時代も終わろうとしている。それを嘆くことなく受け入れる努力をするべきだ。ただ、あくまでも考える主人公は人間でなくてはならない。創造的なことは、絶対に奪われてはならない。そう意思を強く持つことだけは、失ってはならないのだ。それこそが、人間性というかけがえのない知性なのだ。

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