思考力

転がり回る

強烈な依存の禁断症状が出た。もはや、身体中がウズウズし、のたうち回るくらい、依存対象にふけっていたかった。焦りが焦りを呼んだのか、プールに行って気を惑わせようとしても、終わってみれば、スイムキャップをなくし、ある大切な物を売却しようとすれば、値がつかなかった。もう、私のワンルームの部屋には、売却できるものは何ひとつない。

ここまで来れば、禁断症状を抑える術はひとつしかなく、寝る前の薬を夕方に服用し、ひたすら眠るだけであった。そして、今、日付が変わる1分前のギリギリシンデレラタイムに目が覚めたのだ。まさに、禁断症状に襲われ、自分を脅すかのように魔の手を差し伸べる依存症。身体と心の求めている物というのは、こんなにも違うのかと狼狽してしまう。心の均衡をシッカリと保つためには、自分の中の何を頼りにすればいいのか。少なくとも、依存というのは病気の一種なのだから、克服するメソットがあるはずだけれども、それが「意思の力」であるとは全く思えない。それくらい強く苦い禁断症状を、昨日は味わった。

私は、腐っても教師であるという自覚を持たねばならない。ただ、教師であれ、心の弱い面というのは持ち合わせているモノであり、従順な機械のように、完璧な聖職者のように、雑念をもたぬ賢者の如く振る舞うというのは、なかなか難しいものだ。どんな人間であれ、どこかしらで心の弱い部分を持ち合わせており、その部分を改善しようと必死なのだ。これは、教師でなくとも同じではあるのだが、人にものを教える時に、間違った依存の仕組みを生徒の頭にインプットさせてはならないのだ。

もし、この千葉に来て5年以上やっていなかった依存症行為を乗り超え、かつての生活習慣を取り戻せれば、私は、相当なメンタリティーを手にすることができよう。しかしながら、その時は、かなり先になる。消費者金融と縁を切るのは、とんでもない額になってしまっている。やはり、心の隙をに入り込んだ「浪費」が、身を滅ぼすというのは、完全なる事実だと実感している。

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