思考力

打ち出の小槌を振り返る

私の1日という概念は、すでに崩壊している。覚醒している間であれ、ふらふらの半覚醒状態で、「ネムイネムイ…」という呪文のような、念仏のような訳のわからぬコトバを口から放出して歩いたり座ったりしている。つまり、なにをするにしても「ネムイネムイ」という言葉が頭から離れることはない。今日は、もはや覚醒しているのが辛くなり、夕方に寝る前の薬を飲んで、今は夜の9時。やはり1日が24時間というサイクルではない。このブログだって、毎日投稿ということで考えると、本来は日付が変わってから書かねばならぬわけだが、もはや日付の線がどこなのか分からないので、大きくフライングして書いたところで問題はなかろう。決まり事が多すぎて、自分の首を締めることもない。

昨日は、時差ぼけで半覚醒のまま、手をつけてはいけないはずのお金に手をつけてしまっていて、それをある人に説明したら、とにかく生活保護のケースワーカーに相談をすることを強く勧められたのだが、やはり私が買ったモノは、生活において必要最低限のアイテムには程遠いアイテムで、完全にレッドカードだった。もし、綿密な状況を調べぬかれたら、やはり今までの保護費の返還と、今後の生活保護の廃止が決まってしまう。それだけは避けたいのだが、何やら、複雑に絡み合うお金お金お金のお金の連鎖が、今の私にとっては、醜い人間と同士の争いのように感じるばかりで、非常に不快だ。

昨日は、今年の夏前まで働かせてもらっていた個別指導の塾の求人に応募したのだが、あいにく講師が余っている状況だったので、採用してもらうチャンスがなく、別の塾での勤務を検討している。この塾講師の仕事であれ、先日の頭の骨折の事故の時には「もはや復帰は不可能」という警告書が自分のプライドに貼られてしまったのだが、それでも今ならやれるという自信がある。そして、今やらなければ、知識の面でも、体力の面でも、退化していってしまうことは明らかなのだ。

使ってはいけないはずのお金で購入した冷蔵庫と電子レンジとケトルは、本日来る。なかなかウェルカムで迎えられる心持ちではなくなってしまった。あと自宅に招待しているのは、机とクリーニング屋に出したカーテン。こうやって新品のメガネをかけながらMacのキーボードを弾いて使ってしまった物を列挙してみれば、このピカピカのメガネをかけてブログを作っていることにすら罪悪感を感じてしまう。大きなお金を手にして、それを遣ってはいけないことだと知りながら、「なんとかなるだろう」という気持ちが先行してしまう。するとやはり、自分はトロトロに甘やかされて育ったということも、情けないかな、今痛感してしまう。

早く、釣りにでもいきたいものだ。ただ、車だって釣具だって必要。結局、何か物事を始めようとするときには、多かれ少なかれイニシャルコストがかかる。かつての私は、そんな支払いに、大盤振る舞いでお金を費やしてきた。今考えると、そもそもの話、そんなに必要な経費というのはかからないし、まずは、現場に通い詰めるだけの肉体的精神的余裕が必要なのだと思うものだ。仮に、お金持ちの部類に入ったとしても、無駄な出費だけは避け、価格と価値に見合う性能を見抜き、それに伴って動ける人間でありたいと思う。

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