思考力

廻り疲れた財布のオーナー

ハンバーグセットをオーダーすると、セットのライスではなくて、別口でハンバーグプレートが到着する。本を買えば、やけに高額で、レシートを見れば、2冊分の料金を請求さて、それを支払っている。前者は、セットのライスに戻してもらい、後者は、もちろん一冊分の金額にして返金してもらった。もし、何も言わずに、何も気づかずに、「言われるがまま」「出されるまま」であったら、思いもよらない出費というよりも、向こう側に悪意がなかったとはいえ、詐欺をされたようなものだ。人聞きが悪いかも知れないが、やはり支出には最大限の注意を払うべきだ。だから、ある意味、常に身構えておかなければ、お互いに気持ちの悪い結果となってしまう。

先日、やっとのことで片付いた問題のあと、このような訳の分からぬトラブルのような怪奇現象が着いて廻るようになり、なかなか疑心暗鬼になってしまうようなことが増えてきている。ハンバーグ屋と本屋がグルになって、私を騙そうとしているとは考えられないし、もし真剣にそんなことを考えてしまっているのであれば、被害妄想の末期に入ることになる。ただ、私の携帯に訳の分からぬ着信が、色々と履歴を残していることを考えると、やはり、自分の身の回りが奇妙な状態になっていることは確かだ。これは、妄想ではない。

昨日予告していたのかも知れないが、今日は財布を新調し、投資の本を買った。ただ、今、帰宅しても、あまりの疲労で、封を開けることもできていない。家に着いてから、溜まった洗濯物を洗濯機に放り込んだ。昨日は、眠剤を飲みつつブログを書き、そのまま寝落ちしたので、今日も、夜に書いてしまえば安らかに眠れると思った。もちろん、明日の朝に書けばいいし、そのつもりなのだが、グルグル廻る洗濯機の音が忙しなく、やはり何か創造的なことをするとすれば、記事を書くことくらいなのだと思った。

今日、サラ金一社に完済できた。喉元過ぎれば〜、の逆で、借金というのは、喉を通り過ぎてからが、とんでもない勢いで膨らんでいく。今、グルグルと廻っている私の洗濯物と同様、利息が利息を呼び、泥沼に落ちていく。全身が泥に埋まる頃には、頭の中もグルグルバッド状態で、もはやどこに進むべきか、もっといえば、どこに進んでいるのかも分からなくなる。やはり、借金だけは、何があってもしてはならない。こんな大層なことを言いつつ、まだ一社残っている負債。早めにケリをつけたいものだ。

トントン拍子とまではいかないのかもしれないが、やっと人生の航路が整い、50歳に向けての展望も見えてきた。今、落ち着いて自分の身体を見直せば、腹は醜く垂れ下がり、髪も薄く、背中も曲がっている。首もゴリゴリと音を立てるようになった。30代の頃は、この年齢でもサーフィンをやっているダンディーなヤツというイメージだったが、現実は厳しいものだ。加齢というのは、とても残酷である。アンチエイジングなどというワードもあるが、やはり、どんな人であっても時間というのは、何かしらの形で無惨に切り刻まれることであり、やはり争うことはできないのだ。

では、悲観だけしかできないのだろうか。今、自分は自分の身体だけではなく、自分の心の状態や、生き方の方向性などを俯瞰して見られるようになっている。そうであれば、この年輪を重ねたからこそ、さらに太く自分を支えられる土台というものができているはず。悲観的になって、立ち止まり過ぎた。もはや重傷だ。ただ、砂に埋もれるほどの傷では無い。グルグルと廻る洗濯物だって、洗濯機から出せば綺麗になる。グルグル回転するような人生であっても、悲観する先に光があったのであれば、自信を持ってそれを掴むべきだ。

さて、洗濯物も上がる。今まで使っていた財布からお金を取り出して、新しい相棒への橋渡しをしよう。

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