思考力

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昨晩行われたアパートのバーベキューで、前半の人がまだ集まりきらない状況では、私は全くの蚊帳の外で、参加した事を本気で後悔した。アパートの前で行われたので、何度も部屋に戻ってしまおうとも思ったのだが、それもまた何とも難しい。そんな事をしたら、つまらないから帰りますと体で表現していることと同じだし、自分の部屋まで聞こえてくる笑い声に、まず自分は耐えられないと思った。さらに、こんな過酷な状況ではあるが、スマホをいじるという失礼な行動に走ることもできないので、指のササクレをめくるくらいしか間がもたなかった。

幸い、私と仲の良い若い大工の住居人と、フレンドリーな住居人が帰ってきて、その二人が参加してことなきを得たのだが、やはり私の立場を考えたら、私を完全に無視するような盛り上がり方は、絶対に控えてもらいたいものだった。全体的には、楽しめたのかもしれないが、やはり自分だけが孤立して何もできなくなってしまうというのは、大学生の頃の自分と重なってしまうので、とても寂しい気持ちになる。どんな場面であれ、楽しい企画の時には、明らかに盛り上がっていない人がいたら、輪の中に入れてあげるのがマナーではないだろうか。

東京に一泊し、その日にバーベキューがあり、疲れていたのか久しぶりに少し長く、少し深く眠れた気がする。起きれば、ルンバに掃除令を出して手際よく働いてもらうために、床面積を広げたのだが、カーテンからの日差しが眩しく、新鮮な風がスウーっと入ってくる。このような良い流れが出来上がると、ロボが入りきれなかったスキマや、玄関トイレ、購入してから一度も洗っていなかった気になるマット類の洗濯をしようとも思える。観葉植物に日光浴だってさせてあげたい優しい気持ちにだってなれる。

今、観葉植物を窓際に置いた。葉に水をかけてツヤツヤだ。しっかりと光合成をしてスクスクと育ってもらいたい。こういう気持ちのゆとりを持てるようになるのだから、自分を癒すばかりではなく、生き物を癒すことで、それがそのまま自分を癒す効果として跳ね返ってくる事を学ぶ。グループの中の輪に入れないという苦い記憶も苦い経験から痛みは分かる。それに反して、新しい道の領域に踏み入れて体感できる新鮮な世界があることにも気づく。昨日、話題の中にジェネレーションギャップを強く感じることもあったが、それはそれで自分の中の変えられない側面であったにせよ、それを認識し、自分の中で大切にしておくべき未知なる領域があるということも忘れたくはないものである。

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