思考力

大車輪を逆転させる

 

「習慣は第二の天性なり」。ここのところ、私のYouTubeオススメ動画に表示されるサムネイルやタイトルには、日々の「習慣」の重要性を説いた本の解説動画やインフルエンサーの動画が多く見受けられる。私に向けてのオススメ動画として、Google先生が推薦してくださっているわけで、他の人には、一攫千金ビジネスやギャンブル的要素の高い金儲けのハウトゥー動画が軒を連ねていることもあるわけだ。そう考えると、重度のパチンカーだった私の脳の中から、パチンコという私の人生の10年以上喰い占めていた時間的経済的浪費行動の毒素が消え去ったことが分かる。

今日は、木曜日。相変わらず、起床時には強い寒さを感じている状態で、これはコロナではないといえど、身体の一部の機能を狂わせる原因が、他に確実に存在していると考えられる。感染症のように他人に迷惑をかける症状ではないがゆえに、私にとって不快極まりない寒さとの戦いを、誰も察してくれないのは辛い。まるで、腰痛だ。東京の主治医の診断の通り、眠り薬と気分の波を抑える薬の「禁断症状」からきているのであれば、近ごろ悩まされ続けている過去のトラウマも、この薬の副作用から来ているはず。

昨晩の眠れぬ夜にネットサーフィンをしながら、Google先生にお願いした検索は、過去のトラウマの消し方や、心的外傷ストレスの克服法であった。どれも同じような対処法ばかりで、あまり役に立たず、結局は「忘れる」か「病院へ行く」という2択に陥るだけ。認知療法的な自己克服にせよ、カウンセリングを伴う服薬による治療にせよ、知らぬ間に心を支配していく負の感情を消し去ることは、酷く難しい。中国が、知らぬ間に日本を支配し続けているかの如く、自分の心の中という国が、自分心のの領土を冒されていることに目を背けているような状態であれば、その癌細胞のような魔の手が、心の中で一気に止められぬ勢いで襲いかかってくる。

今の日本が、今の私のような、ほとんど消せないトラウマになってしまう程のダメージを避ける術はないのか。そもそも、自分のちっぽけなトラウマですら解決できない私が、国家間の侵略の攻防戦の打開策など思いつくはずもない。自分の周りを極力身軽な状態にし、バビロンの大富豪の教えの「より良きところへ住め」というアドバイスを実践すべく、日本を脱出するための資金調達として、身の回りの不用品を高く売る方法を考える事くらいはしておこう。金持ちほど不要なものは持たないと言われているし、固定費に敏感になるのであれば、三日程度で引越し準備が完了するくらいの状態をキープしておくことも大切と言えよう。

Ancient sumerian stone carving with cuneiform scriptingAncient sumerian stone carving with cuneiform scripting

5ヶ月もの間、ブログを書き続けていると、複利的に伸びていく「習慣の破壊力」の凄さを実感する。起床してからブログを書くというルールを守れば、目が覚めないという御臨終状態でなければ書けない日はない。実は昨日、あまりにも精神状態が錯乱し、肉体的にもキツく、追い討ちをかけるかの如く、修理が完了したボードを引き取りに行くことになっていて、時間の関係でブログを書く時間を取れずに家を出ることになってしまった。日付が変わるギリギリで書き終えたのだが、やはり、起きてからすぐに書かないと、毎日更新が立たれてしまうという危険を避けられなくなる。危なかった。

そんな駆け込みブログ完成をした昨日、ウェットスーツを持ってこなかった私を哀れむかの如く、リペアマンから聞いた話では、とても上質の波が割れているとのこと。一宮の海岸に車を停めると、情報通りの素晴らしい波がブレイクしていた。何かしら意義のあることをしたかったので、溜まっていたYouTubeの音声動画を一つだけレコーディングした。ついでに、手首の怪我の治療と精神を安定させることを目的に、巨大温泉スパに行く。そこの会員になれば、千円そこそこで利用できる巨大リゾート温泉。このような環境に居られると、自分が千葉外房に引越したことに対する優越感のような気持ちが湧いてくる。もし東京で、今のようなボロボロのメンタルコンディションであったのなら、再起するのに相当な時間を要すことになる。それこそ、東京で4年3ヶ月務めていた塾に通勤する前に通っていたカプセルサウナの風呂の安っぽいサウナでは得られぬ快適性。しかも、千葉の方が明らかに安い。コスパ最強だ。

サウナの中であっても、こうやってブログを書いている時であっても、少しだけ自分と向き合える時があると、自分が何のために働いているのかを、少しだけ深く考えることがある。また、最高の生き方とは一体何なのか。やはり、紛れもない「自分」が最高だと思える人生を送ることに他ならないのではないか。家族のため。家族がいない私なら、生徒のため。または、自分がお世話になった恩師のため。友人や恋人のため。それぞれの角度は、一見すると他者のためようだが、本質的にはどれも逆。向かっていくベクトルが正反対であることに気づく。

結局のところ、どんな人であれ、どんな綺麗事を並べようとも、他ならぬ「自分」が一番満足する方向を目指して生きていることを否定することはできない。それを認めようとしないのは、完全なる「自己否定」しているようなものだ。この考えというのは、自分がカワイイという視点などではない。生きる上での真理ではないかと思っている。相手を幸せにさせてあげようとか、環境をよくしておこうという考えは、巡り巡って自分に向かってくる何かに期待をしているということであり、それを理解すれば、先ほどとは真逆の「自己肯定」という考えが成立する。

木曜日の午後にブログを書く。今日は、気持ちばかりが先走りして、なんのBGMもかけずに書き綴っていた。それでも、習慣というサイクルは結構恐ろしいもので、キチンと文章を組み立てることができている。習慣というループを正しい方向へ修正していくことで、私の飽きやすい性格を叩き直し、私の長所である「熱しやすさ」の持続につながっている。やはり、習慣は生まれつきの正確を変化させるだけの力を十分に持ち合わせている。

そう考えてみると、習慣を変えるというのは、性格そのものを根底から変化させることと同じであり、人生の大きな部分というか側面を、広く深く変化させることにつながる。これを上手に使えるか否かでは、人生の分岐点の分かれ道に立たされた時に、先ほど述べたような全く別のベクトルへ進んでいくことに関わってくる。この視点の切り替えを上手に利用することさえできれば、より人生を豊かなものにするきっかけを得られる。

例えば、モノを捨てたり整理したりできないで、それが足かせとなっていると感じているのであれば、捨てることで幸せが待っていると舵を切り替え、捨てる方向へベクトルへ向ける習慣を身につける勇気が必要。また、食べてはいけない毒の成分を、知識としては理解しているけれど、やっぱり食べているのならば、やはり悪癖を断つ方向への習慣を身につけねばならない。

これは、とても難しいことである。それがカンタンにできるのであれば、多くの依存症患者は困ることなく効率的な人生を送ることができ、それを治療することを仕事としている人たちが露頭に迷うことにもなろう。つまり、悪癖を習慣としている人たちの負のループを逆回転させられるきっかけを探し、それをキープさせる策を見つけることが、習慣というジャジャ馬を操るキモとなる。こう考えると、悪循環のループにはまり込んでいる人の可能性というのは、ノーマルな生活をしている人に比べ、伸び代が極めて広いということが分かる。

正反対に生きていくというのではなく、逆回転の渦を作り上げる。確かに、大きな労力が必要とはいえど、どんな事象であれ「イニシャルパワー」を出す為には、大きなリスクと不安が付きまとう。ただ、そのような強い力が必要な事象ほど、一旦ベクトルが反対に向けば、後の流れはスムーズだ。そこに不可欠となる起爆剤になるのは、今回のキーワードである「習慣」に他ならない。そして、その起爆剤を常に持続させるガソリンのような等加速度運動のエネルギーであっても「習慣」という燃料が必要なのだ。

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