思考力

塩と斧

タバコを吸いながら、タバコを止めたいと言っている。お酒を飲みながら、お酒を止めたいと言っている。当の本人は、真剣にそう思っており、自分で専門的な治療まで受けている。それでも止められない。それを誰かに打ち明けたときに、理解を示してもらえず、「嗜む程度に付き合っていけばいい」「やめればいいじゃないか」と言われてしまう。届かない思い出いっぱいになる。依存症の恐ろしさや苦しさを、全く理解していない。こちらからしてみれば、斧を振りかざされ、ドスっと肩に振り下ろされてしまったかのように傷つく。

自助グループのミーティングで、自分と同じ経験をし、なんとかして抜け出そうと必死になっている人たちが、口を揃えて言うことは、大抵の場合、「一般の人」には理解することができない深い悩みについてのことだ。「どうしてそんなに金があるんだ」「意志が弱いだけだ」これを言われてしまったのであれば、ある意味では、ぐうの音もでない。もはや、そのような斧を持った「死神」とわかり合おうとは思えない。医者や専門家に、自分の苦しいことを相談したときに、「苦しくても放っておけ」と言われるのと同じようなものだ。

自助グループミーティングに参加して、多くの人たちが、同じような言葉や暴言を吐かれ、深く傷つき、悩みつつミーティングに参加している。傷を舐め合うとかいう低次元のことなんかではなく、これからの光の方向へ向かう協力をしている。なんと素晴らしい団結なのだろう。届かない気持ちを無理に相手に理解してもらおうとするのは、ある意味では、自分のワガママとも言える。ただ、わかってもらえない人から自分の心の傷跡に塩を塗られるような行為は避けてもらわなければなければならない。全速力で逃げる。これ以外ない。

だから、そのような人とは、決して関わってはいけない。依存して失った一番大きなものは、「時間」。それならば、すぐに壊れるであろう無味乾燥な付き合いは切り捨て、分かり合える仲間と共に、時間をつかっていくことが望ましい。そして、先ほど述べたように、こちらでの出会いでも、ただの慰め合いにならないよう、しっかりと守るべき距離感というのは、保っておかねばならないと思っている。

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