思考力

熱湯で溶かして得る仲間

最近は、とにかく財布の紐をギチギチに締め付けるため、カップ麺ばかり食べている。一日に、5〜6杯は、平気で平らげている。仮に、一杯のラーメンとか、焼きそばを買うのであれば、100円のカップ麺が「5杯」買える値段であり、やはり、後者の方が圧倒的にコスパがいい。ただ、このような食生活がカラダに悪いことは百も承知で、ある程度のお金が貯まったら、またシャブシャブ通いの日々を送りたいものだ。今の即席麺生活は、医者の警笛が鳴る前に、絶対にやめるべきである。

日本人は心配性のカタマリのような人種であり、余計な保険に入りすぎている「保険貧乏」な人が多い。保険をかけただけで病気が治るのかと言えば、それは全くの誤解であり、日々の食生活や生活サイクルの見直しなどを見直してから、保険に入るべきか考えなければ意味がない。そもそもの話、必要な保険というのは、起こる確率は少ないが、起こってしまったた被害が甚大なものだけが必要なのであり、細かな心配事の解消となるというだけで、お金をかけて貧乏になって「貧乏即席麺生活」を送るのであれば、まさに本末転倒だ。

私の依存症生活は、事の甚大さは抜けつつも、やはり苦しさは変わらず、金銭的に困窮していることは変わりはない。この思考力養成予備校であっても、自宅でネット起業を行って稼ぐことを目的としていたが、そうそう稼げるビジネスとまではいかなかった。ただ、こうやって目が覚めたらブログを書くという習慣を、身体に染み込ませられたのは、これから先もずっずっと続けていきたいものである。人生において、本当に必要なものというのは、ポッ出現して効力を発揮されるものではなく、自分の才能の中に眠っている何かを長い間、積極的に熟成させることで得られた産物であろう。

人との絆というのは、まさにこれに当たる。熟成させている能力が、まるで磁石のように惹かれ合い、そこに偶然ではなく「必然的」な出会いとなって、仲間ができるのだ。分かり合える仲間、互いの暖かさをシェアできる仲間、血の通った仲間というのは、このような努力の過程で生まれてくるものなのだろう。霊的でスピリチャルでオカルト的な繋がりではない。私の論理的な考え方に基づいて、この発想は、あながち間違ってはいないと思っている。

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