思考力

消えた栞

 

「保険」が効いた。昨日は、ブログを書かずに眠りに落ち、そこから目が覚めた昼過ぎの起き抜けに、ブログを書いている。こんな日は、もちろん“夜CAFE”なんてBGMにしない。昼とはいえ、優秀なビジネスパーソンが、カフェでノートパソコンを弾いているような雰囲気に浸るかのように、久しぶりに“ボサノヴァ”を聴き、落ち着いた心で記事を組み立てている。現在、活発な雨雲が、関東へ拡大しているので、部屋の外に打ち付けられている少し大きな雨の音も、私の気持ちを整えてくれる。また、最近の活発な活発な動きにもブレーキをかけられている気がしている。波乗りに行きすぎて「塩漬け」にならないように、雨が身体と心を癒すように促しているのかもしれない。

これから、こんな自由気ままな人生を送っていきたいと切に願う。起きる時間など、その日まかせ。必要最小限の仕事をしつつ、余計な見栄など張らずに、単独行動を楽しめるような生活。千葉で生活し、このようなユルイ生活に対して、大いなる喜びを感じている。確かに、千葉であっても東京であっても、縛られた「会社員」という立場ならば、そこには強制的な命令がある。母の病院の付き添いの後に仕事に行き、日付跨ぎで帰ってくるような生活は、とてもツライものがあった。最初の一年は、波乗りなど、数回程度しかできなかった。

会社員という拘束された身分からフリーになり、最愛の母が他界した。そういった意味においては、私の生活には、大きな時間的なゆとりと、心のどこかで重くぶら下がっていた大きな塊が、宙に浮いた状態になった。今、リビングにある、母の遺影と遺骨に手を合わせ、今までの私の人生を支えてくれていたことに感謝し、私なりの人生の時間を、どのような方向へ進めていくべきかを考えていきたい。

人は、自分が生まれたときに見た景色を知らない。もちろん、産みの親の顔も名前も。記憶の中の「栞」に入っていなければいけないはずの記憶が、どんな人であっても消え去っている。ただただ、これから「生」を受けたことに対する恐怖を感じながら、大泣きすることで、自分の存在をアピールしている。泣いて泣いて泣きじゃくる。これほど泣きじゃくることは、これから先の人生であるのだろうかと思うほど、泣きじゃくっているのかもしれないが、その時の記憶を、どんな人でも忘れている。これは、何やら「神秘的」な感じがする。

やがて、人は、笑うことを覚えていく。笑うという行為は、人間にだけ与えられた特権であり、その微笑みは、周囲に喜びを与えるようになる。これもまた、防衛本能だと思う。あの泣きじゃくっていた時の記憶が消え去り、笑うことを覚え始め、やがて笑うことの方が、自分にポジティブな行為だと知る。だから、幸せになりたいのであれば、少なくとも「笑う」という行為を自然に行える環境に身を置くべきであり、怒りに任せて泣いてしまうような環境からは、遠ざかるべきだ。それを知ることもまた、防衛本能といえる。

相手に対して言ってはいけないことを言うのは、学校の先生や親の教育で習うことが多いし、何より成長過程の中での経験から、人は、そのような「禁句」を学んでいく。ただ、自分に対して言ってはいけないことというのは、なかなか学ぶ機会はないし、それを言い続けることによって、自分の中に眠っている憎悪を叩き起こしてしまうことになってしまう。これは、絶対に避けるべきなのだが、無意識のうちに行っている場合は、非常に厄介なことである。

昨日の晩に、ブログを書かなかった理由は、疲弊していたことが理由だ。母の他界に伴う手続きや、引越し先への荷物の整理などの肉体的な疲れが大きかったのだが、一番の大きな負担の原因は、オンライン面接で、ある家庭教師会社とのやりとりであった。様々な質問の中、おそらく相手は、それほど多く求めてはいないであろう質問の「応え」を、私が自分の心の底から吐き出していたのだ。こうやって、毎日毎日、自分の過去、現在、未来を整えて思考をグルグルと回転させていれば、口をついて自分の考えを主張できるようになる。それを実感しながら話をしていた。ただ、最近では誰かと真剣なことについて話をすることがなかったので、面接が終わる頃には、酷く疲れが出た。

これからの私の人生の中で、私が正社員として、どこかの会社に属するということは、まず無い。これから「少子高齢化」が進み、社会保険税が爆上がりするのに、何故わざわざ時間まで拘束されて生活しなければならないというのか。無駄な浪費をすることもない。モノを買うくらいなら体験を買うことの方がよっぽど大切だということも実感したし、何よりも自己投資・インデックス投資に費やす資金の大切さを学んだ。もう、日本の動きばかりではなく、世界の動きそのものの時間軸を考えられるようになってきている。無駄は、避けなければならない。私も40半ば。無駄な時間は、とことん削減しなければならない。

3LDKの平屋建てから、ワンルームアパートへ引越す。すると、どんなに頑張っても「断捨離」をしなければならない。収納する場所など無い物件に行くのだから。片付けるというのは、何かに対して「片を付ける」ということ。つまり、自分の中にあるモヤモヤした何かを、必ず切り捨てなければならない。そして、これが面白いことに、切り捨てて悪いことが起こるケースというのは、何気に少なく、大きくプラスの方向へ行くことや、抜本的に解決するグレーな部分を修正することがあると学んだ。

意識そのものを変えるために必要なことが一つあるとすれば、同じ場所で頭を抱えて悩み続けるのではなく、大きく環境を変えることだ。そのようにすることで、意外にも簡単に人生のバランスが整う。これは、千葉に来て気づいた、とても大きな収穫であった。

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