思考力

1万円の鼻紙

 

ほとんどの事象には、浮いたら沈むという不変の真理がある。極々近くの例で言えば、大好きでしかたなかったアイドルが、いつの間にか下火になっていて、結婚でもしようモノなら、ガッカリするというより、今まで騙されていたような錯覚にさえ陥ることにもなる。それそのものが「自我」というモノなのだから、本当の自由を手に入れるには、あまり相手に期待しすぎずに、自分の心の中の動きをアップデートさせることが大切である。眠ることだって同じだ。疲れをとるために覚醒度合いを下げて、寝落ちして回復して意識が戻るということを、私たちは毎日繰り返している。

ただ、歴史的大ヒット作となった新海作品の『天気の子』や『君の名は。』はもちろん、主題歌となった『グランドエスケープ』や『やなんでもないや』などのRADWIMPSの曲は、人それぞれの相性もあるが、多くの人の心に消えることなく焼きついているものだ。そのYouTube動画のコメント欄には、「記憶を消してもう一度観たい」という素敵なメッセージもあった。そういう気持ちを蓄積していくことで、人間は心にゆとりが出て、本当の「自信」のような感情さえ生まれてくるのかもしれない。

未曾有の大惨事となった「新型コロナウィルス」。今や「オミクロン株」なる変異種のようなものも出ている。これが、今の段階では、無症状や軽度の症状しか引き起こさないと言われているが、時期尚早だと捉えて構えておかなければならないのかもしれない。なぜ、このような曖昧な表現をするのかと言えば、もはや人類は、コロナに翻弄されすぎている節もあるし、この2年程度の間に、とんでもない足止めを食らった人も多いからだ。足止めどころか、衰退してしまった人や分野さえある。念には念入れて何も進まないよりは、ビフォアーコロナの状態に戻って、少しずつでもいいから今までやっていたことを再開してみるのも重要ではないかと私は思い始めている。

文明が滅びてしまったと仮定すれば、今持っている紙幣などというのは「鼻紙」くらいにしかならない。それはまさに、原始人のような生活にならざるを得ない。そこで、「記憶を消してもう一度やり直したい」と思うことは、なかなか厳しい。アップデートされたものを後退させるというのは、人類にとっては受け入れがたいことだから。もはや時代は、三次元・四次元・五次元へと進み、機械が文明を支配していくことになる可能性が高い。シンギュラリティー。半分人間で半分は機械のような未来が待っているはず。そうなれば、この「時間」という概念そのものが消え去っていくわけだ。

貧乏であれ、金持ちであれ、残る未来に「経済」という括られた枠が無くなってしまえば、後は銀行が消え去り、借金も帳消し。そうなったときに、人間にとって価値のあることというのは何になるのであろうか。「精神的豊かさ」にでもなってしまいそうだ。やはり、月並みなことになってしまう。それでは、何を基準に価値を決定すればいいのだろうか。やはり個々人によりけり。こちらも突き放した表現になってしまう。まだ、未来に対しての自分の見解を出せない。ただ、これはある意味当然とも言える。今の自分の価値観が、「お金」という判断基準でしか表現できないのだから。

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