思考力

浅き思考、深きを望む。

 

寒いのは、あまり得意ではない。特に、今年は夏から新地へ引越し、初の越冬となる。気温としては、どんどんと低くなっていくので、明らかに自分に覇気がなくなっていっているのが分かる。夏から秋にかけてのスケボー巡回の回数も少なくなり、久しぶりに会う近所の人への挨拶でも、笑顔が引きつってしまう。ただ、雪が降るような寒さの中、星月夜を眺め、思いっきり深呼吸するのは大好きである。過ぎ去りし青春時代。私はそのようにして、見晴らしの良い高台にある公園で、熱い茶をすすっていたから。

週末の朝。やはり、本能として冬籠りをしたい気持ちがどこかにあるようで、これが日曜出勤の朝で、往復3時間のような場所への出勤であれば最悪。ただただ気力を奮い立たせて、精神力のみで立ち上がったとしても、やはり身体のどこがが壊れてしまうだろう。これは、千葉に引越してから、実証済みだ。しかしながら、今はフリーランスになったとはいえ、仕事も安定せず、ブログを書きながら聞いているBGMのJAZZもボサノヴァも耳障り。このまま自分という存在が、一体なんなのか分からぬまま、老いて日暮らしの状態になってしまうのだろうか。

爽やかな朝の日差しが、窓から届いているというのに、自分の浅っちょろい人生のアーカイブと、自分の中では深く大きな哲学的な文章を書いて、自分の傷を後悔するような愚かな内容の文章を記した。こんな雑文に興味を示す人も居なく、ここから先を読んでくれる人など皆無だと思いながら、Macのキーボードを弾いていこう。話し方も含め、伝わる文章というのは、このような掴み所のない文章ではなく、具体的な解決策や展望がなければならない。私のような、石橋を叩いても渡らなくなってしまうほど「CHICKEN」なハートで文章を書けば、下手をすると、コロナのように、知らぬ間に誰かに感染して、誰かをどんどん蝕んでいってしまうかもしれない。

結局のところ、見た目が良かろうが悪かろうが、頭が良かろうが悪かろうが、成功する人というのは、その臆病さをも乗りこえて、あるミッションに向かって素直に行動する人である。水風呂に喜んでつかる勇気を持てる人。そんな人が、たとえ不器用であれ、結果を残す。無知であることを自覚しているからこそ、希望というのが生まれるのかもしれない。足踏みをしていては、どんなに優秀な素質を持っている人だとしても、結果は残せないものだ。

やはり、このような生活を続けていると、思考回路そのものがネガティブになりつつ、視線は「過去」に向かう。付き合う相手が悪かったなどという、自分以外の誰かに向けて、怒りや後悔の念をぶつけてしまうのだ。早く負のループを抜け出したかった。ただ、その思考回路そのものが、ある意味では「甘え」である。残り半分程度となったはずの私の余命に中で、これからの反省点として、付き合うべき人間を選別していかねばなるまい。時間の時計を反転させるわけにはいかないのだ。

突然、予兆なしで命を落とすこともある。これは、命あるもの全部が背負っている宿命である。この危険性を理解した上で、やはり刹那的な快楽を求めるばかりではなく、ハングリー精神の中で向上心を持てる人材。これこそが、どんな時代でも重宝される。もちろん、大切にされるためには、先述の通り、「行動すること」が伴わなければならないのだが。

 

 

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