思考力

切り詰めて見えるモノ

所持金300円程度。これを使ってしまうと、明日の本命の会社の面接に行けなくなってしまう。そもそも、今日だって、実際に他の会社で採用試験があるはずだったのだが、「交通費が無い」という前代未聞のキャンセルとなってしまい、採用試験をスルーすることとなった。なんとも不本意である。生活保護の申請をしても、このご時世、同じように生活に困窮している人は多いようで、なかなか支給決定通知がこない。所持金300円の今の私にとって、生保を受け取れるか否かの決定通知は死活問題。昔のドラマの名台詞で言えば、「同情するなら金をくれ」と言ったところだろう。

今、早朝の四時半。もう陽が出かかっている。てっきり6時頃かと思いきや、まだまだ夜明けではないようだ。相変わらずの早朝覚醒。金を持っていて目が覚めれば、このまま釣りにでも行きたいところだが、何せ金がない。そもそも、一切の釣具を売却してしまったから、悔しいが行けるわけがない。でも、そもそもの道具がなければ、釣りにはいけないという判断も早くなるので、ひどく後ろ髪ひかれるような気持ちとまではいかない。生活雑貨を極限まで減らすと、自分の今までの生活が、どれほど娯楽で埋められていたのかもわかる。釣具ばかりでなく、サーフィン、洋服、バランスボードなどのアイテムは、全てリサイクルショップに売却してしまった。6本程度あったスケボー のうち、唯一残った一本のスケボーこそが、私に残された唯一の娯楽用品となった。

このように大量のモノを処分していくことで、自分の住んでいる今の部屋に、どれほどのデッドスペースがあったのかに気づく。気がつくと、ミニマリストレベルも、非常に高い状態に上がったものある。モノを持つ量を少なくすると、暮らし全体のQOLが、とても上昇しつつ、快適に軽くなることは事実のようだ。例えば、釣りをしていて、あれもこれもと多くのモノを用意する中で、不要なモノの存在に気付き、釣行を重ねるごとに、持ち物が少なくなって、快適な釣り生活を送れるようになる感覚だ。

旅慣れた人が、持ち物を極限まで減らすのと同じく、不要なものがほとんどない今の私の生活のフットワークそのものも軽くなっている。暮らしそのものがキチンと整い、売却しても金にならないようなモノも一切なくなり、部屋で悶々と考えたり、オドオドと判断する回数が減ったので、心の状態も、とてもシンプルだ。全財産が、冒頭で記した金額なので、節約から全てが始まるとすれば、今の私のスタンスは、攻めの節約にシフトすることができるとも言えよう。持ち物を手放し、綺麗にバランスが整う。そうすれば、今まで腕の力だけで持ち上げていた何かを、身体全体を支えるように分散しつつ、安全に運べるような感覚だ。実は、このゆとりの中に「豊かな生活」があるのかもしれない。

昨日のブログを読み返すと、文章になっていないサイアクの文字の羅列が残っていた。とりあえず早朝覚醒の状態で、寝る前の薬が残ったまま書いた駄文。書き終えた後に、グースカ寝ていた。今回の記事は、とりあえず昨日のブログよりも整った文章が書けたと思う。これもまた、昨日売却したモノのがなくなった分の部屋のスペースが広がり、心に余裕ができたからなのかもしれない。仮に、やりたいことや将来の道が定まらないのであれば、モノを処分して、どれほど思考がクリアになるのかをイメージしてもらいたい。かなり心が平穏になるはず。今、心理的混沌に陥っているのであれば、断捨離ミニマリストの生き方を参考にする価値は、十分にあると考えている。

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