思考力

不安定への感謝

 

私が、自宅に導入して授業中に使用する電子黒板には、自分がやらなければならない優先的なことを、3つ書いて、いつでも目に入るようにしている。そうすれば、潜在意識の中に、それを達成しなければならない「義務感」というものが出てくるらしく、それをシッカリと実践できている。昨日の記事にも書いたが、「ポモドーロ法」で、自分の集中力を25分刻みで割っていって、キレイに集中力を分散させていくことにもしている。このように、YouTube等で仕入れた情報を実践するというマメな努力というのは、実際に得た正しい知識やアイディアを、シッカリと自分の生活に採り入れて、再現している結果だ。

動画を見ていると、食べるものに関していえば、何も食べられなくなってしまうほど、世の中にはキケンなモノが溢れかえっているようで、現代人が口にしているモノが、毒の塊であることが分かる。買い物をしている時であっても、スーパーなどで、ピザでも見かけようものなら、「あ、毒のカタマリだ」と呟いてしまうこともある。そういえば、大学生の頃に、「ワラシノスキナタベモノハpizazzデス」と言うほど、ピザをドカ食いしていた。高校2年にバイトの面接に行った場所もピザ屋だった。今考えると、相当な、自傷行為をしていたと言えよう。

このように考えると、大手チェーン店のバイトの賄いなどを食べていたら、それこそ命を削っているようなもので、食べると、脳ミソが麻痺してしまうようなものばかりだ。幸せになる習慣や、基本的な金融知識などを身に付けたとしても、危険な食べ物や、お酒などの害のあるものを身体に入れない努力は必要不可欠であるはずだ。自分で、免疫力を爆上げさせるような食事を作ることなどは、非常に賢い選択でもある。だから、危うきことを避けるという意味で、食事をおろそかにしないといこことは、兵法の基本でもある考えだから守らねばならない。

食事ばかりではなく、物事の考え方や捉え方、日々の習慣などを取り入れるときに、その対象を真逆に考え、既存の考えを「捨てる」と言う行為を、積極的に行わなければならない。それは、考え方であれ、所有物であれ同じことだ。一時、教育業界を離れ、違う職種で働いていたときに、仕事そのものが、非常に簡単な作業で、全くやりがいを感じられない職業があった。楽な仕事をして給料を貰うことの虚しさ。いや、もっと言えば苦痛のようなものと相対する事は、とても大きな苦痛を伴うのだということを知った。

今は違う。安定した収入は得られずとも、仕事もプライベートもしっかりと充実しつつ楽しめている。誰に対してだか、よくわからないが、感謝の気持ちでいっぱいになる。ひとりで行動する。誰にも縛られずに、スケボーも釣りもサーフィンも上達を目指せる環境。コロナ対策だけして、あとは自由気ままに生ている。どこかの安定した企業に就職を申し入れるなどという「愚」など、もう一生する事はあるまい。やはり、こうやって好きな時間に文章を書けることに対しては、感謝の気持ちで溢れている。

やはり、普段の生活に感謝できる日々を過ごせるというのは、毎日が充実しているということ。これからも、自分の考え方を柔軟に捉え直し、拘束された世界とは一線を置いて生ていきたいと思う。

 

 

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