思考力

自由な勘違い

 

CHIBAニーズは、得手して薄着である。いや、千葉に限らず、田舎に行けば行くほど、車での外出になるので、ヘビーなアウターは、邪魔になってしまう。また、傘をさすという習慣も同じ理由で、かなり縁遠くなる。車での移動というのは、いわば屋根付きの自室が移動することと同じだから、わざわざ傘を持たずとも、目的の所に着いたら、その駐車場から目的場所まで小走りで行けば、さほど問題ない。ガソリン代を差っ引けば、外房ライフというのは、なかなか魅力的で、コスパも良いものだ。

しかしながら、私も、月に一度はTOKYOに行くのだが、今日に限って、ニュースで取り上げられるほどの局地的大雨。騙し騙し傘をささずに歩けども、『言の葉の庭』のような感傷的なシーンを作り出したいわけでもないので、渋々ながら傘を買った。なぜか、いつもコロナの新規感染者の指数が、TOKYO中心であるのが分からぬが、とりあえず危険地帯に行く時は、フル装備でいなければならない。私も大好きであった時事ネタをコミカルに解説するYouTuberが、コロナでこの世を去ってしまったのだが、やはり、明日は我が身である。身体は、常に労ってあげるべきだ。

早起きが身体にいいとか、食事が免疫をつくるという情報が多くある。ただ、それぞれが唱える主張には、それぞれ、若干のズレがあり、それこそワクチンを打つか否かでさえ、その是非が分かれるところだ。そのようなケースで選択を迫られた場合、あくまでも、何をどこまで信じるべきかは本人次第であり、触れる情報全てを、ありのままに飲み込んでいては、効果を得られるどころか、弊害しか受け取れなくなってしまう。SNSの誹謗中傷ですら、どこまでが本人にとって、改善を求める「批判」なのか、ただの悪口の「非難」なのかが分からないものが多い。現代社会では、すでに受け取れる情報が、あまりにも多く、そこに信憑性すら見出しにくい時代なのだから、小さくてワイドな情報は、思い切って切り捨てていかなければ、潰れてしまいそうだ。

テレビ全盛期であれ、本人のいないところで言いたい放題だったとはいえ、最近では、一個人が一個人に恨みの感情を持ってしまえば、まるで蜂の巣を突くかのような攻撃で、似たような感情を抱いている者同士が集結して、標的となった人物をつぶす時代となった。テレビでの影響は、その放送局の中に映っている人だけが放つものであったが、今や、個々人が影響力を持ち、その各々が世間に対して影響を与えられるような時代へと変貌してしまった。これは、やはり危険なことである。

例えば、自分の付き合うべき相手への求める価値基準が、外見ではなく内面にあるという信念のもと、恋人や結婚相手を選んだとして、そのことに対してのパートナーへの外見への誹謗中傷でも湧いてこようなら、この怒りと悲しみは、消すに消せなくなってしまうはずだ。どんな人であれ、自分なりの価値観がありつつ、様々な仮面を被って生活をしているわけだが、その仮面を無理やり剥がされたり、勝手に自分の素顔を見透かしたかのような悪口を言いふらされ、そこに火がついて仕舞えば、その個人は立ち直ることさえできぬ傷を負ってしまう。

言論は、自由である。ただ、自由と自分勝手は、全く違う。物事を自由に論じて発信して良い世の中になったが、自分勝手に人を傷つけていいわけではない。あくまでも、発言のマナーを守っておかなければ、電車の中で刃物を振りかざす狂気に満ちた者かの如く、無差別に人を傷つけることに躊躇しないような、恐ろしい思想が根付いてしまう。この情報社会に生きる我々にとって、一番大切な事は、「我」という存在の他に、必ず「我」という存在を大切にしている他者がいるということを忘れないことが、非常に重要である。

雨にぬれて、すっかり疲れが出たのか、電車での帰路の後、自宅へ向かう車の中では、強い眠気と戦いながら家に着くなり眠りに落ちた。目が覚めれば、2時間程度の深い睡眠。明日、仕上げるべきブログも完成してしまったので、このまま何をするかは夜の自分の自由な気分に任せよう。決して、自分勝手なことを考えないような自分を、確立したい夜にしたいものである。

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