思考力

多角的な視点での断捨離

 

睡眠時間が安定していない。いや、浅い眠りが続きつつも、再度眠りに就くことができず、そのまま1日がスタートするものだから、日中のダルさは、尋常ではない。こうなってくると、いつの間にか、自分の思考回路が「癒し」を求めていることを象徴するかの如く、YouTubeのオススメ動画は、ヒーリング系の長時間睡眠音楽や、ヒーリング系ミュージックとなっている。AIのオススメは、私より私の心を見抜いているようで、ここまでくると利便性よりも、恐怖を感じてしまう。

そんなこんなで、今日現在、目が覚めたのは、朝の3時。この秋も終盤に差し掛かってきているような11月の上旬に、太陽すら出ていないとはいえ、もはや再度眠りに就ける気もしないので、ボサノヴァを聴き、深煎りのホットコーヒーを飲んでブログを書いている次第だ。こんなプライベートな私の不眠のエピソードと愚痴を書いていたところで、読んでくれるのは未来の自分くらいなものなので、ここまで読んでくれている心優しい読者の方々に、せいぜい離脱されないよう、具体的なことを書き始めようと思う。

案の定というか何と言うか。呆れるほど当たり前のように、「渋ハロ」では、若者が狂喜乱舞を巻き起こし、路上飲みやら深夜の爆音で大盛り上がりだったようだ。もちろん、日本の若者の人口を考えたら、こんな人たちが一部の少数派であることは間違いないとはいえ、やはり事実は事実であり、コロナ禍でありながら、このような情けない「惨事」が起こっているのである。また、居眠りが原因なのであろうか、運転する時のハンドルを握るということの責任を欠いたヒトが、幼児二人と保護者二人を、轢いてしまった。誰でもミスはあるとはいえ、命に関わる問題を起こしてしまったのであれば、そこに同情の余地はない。

5Gの発達により、人類の生きる方向の変化というのは、大きな過渡期を迎えそうだ。それこそ、車を運転していたのが人間だったなんていうのが、昔話になるのも、そう遠くはなかろう。だから、このような悲惨な事故が起こる確率も一気に激減するであろうし、自宅にいながら、現場以上にリアルな「カボチャ祭り」を体験できるようにもなるであろう。それを、現在にスライドさせて当てはめて考えると、なかなか面白いものだ。いまだにファックスを使用していたり、キャッシュレス決済をしていないような会社に未来はない。そう考えると、私が千葉に来て入ってしまった、関わってはいけない会社を自主退社した私の選択は、間違ってはいなかったのだと言える。私を叩きのめしてくれたことに、感謝でもすべきなのかもしれない。もちろんそれは、大変な皮肉ではあるが。

今までの価値観やスタンダードが崩れ去る。空腹こそ最高の薬であれ、空腹でウォーキングをすると病気にならないという考え方であれ、最近では、「空腹」を美徳として考えることがネオスタンダードとなって定着した。戦時中や戦後間もなくは、空腹をいかに満たすかということが「美徳」であったのが、まさに正反対のベクトルに向かっているのである。天動説から地動説への変化と同じとも言えよう。こう考えた結果として得られるメリットは、いかに常識を疑い、既製の価値観を打ち破るかということで、ブルーオーシャンを勝ち取れるかという決定打の考え方であるといって良い。まさに、「捨てるは金なり」とも言える。

新しいアイディアにたどり着けるキャパが存在するのであれば、それはやはり、その容量を確保できるだけの思考回路の「断捨離」が必要。あれもこれもと考えていれば、自己矛盾ばかりをして、何も進まなくなってしまう。幸運を引き寄せるには、明晰な心の状態が必要。そして、そこに新しい常識があるとわかれば、徹底的に現状を打破する努力も必要だ。幸せを引き寄せるためには、そこに「ゆとり」が不可欠なのだ。多角的に物事を見られる着眼点を大切にしておくべきである。

 

 

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