思考力

歩くことに意義を感じる

 

ベリベリベリという音と共に、先日、ウェットスーツを脱ぐときに、スーツが破れてしまった。今年はサーフィン厄年なのか、夏用のウェットも、オールシーズン用のウェットにも穴が開いてしまって、スクラップにしたのだが、これから冬に突入するというのに、海パン一枚で海に突入するわけにもいかない。カネは底をつき始めてはいるものの、今しかできないこととしての波乗り。高齢者の仲間入りをしたときに、いくら経済的に独立できていたとしても、そもそもの体力が残っていなければ、そこには幸福は待っていない。だから、断腸の思いで、ネットのかなり安価なウェットスーツ を購入した。

サーフィンも、どこかの大きな大会で3位くらいに食い込めれば、スポンサーの1社くらいは、振り向いてくれるのかもしれないが、表彰状などもらえる実力もない。ただ、健康になるための契機としてのサーフィンは、非常に身体にも心にも良い。今の研究では、1週間に10分程度の運動ですら、身体に良いと言われている。「1週間」で10分なら、やれない理由などない。たったコレだけで幸福度が上がるのであれば、まさに奇跡の方法である。雨の日に具合が悪くなる人が、特に日本には多くいるようだが、自分をプラスの方向へ持っていくのは、他ならぬ自分の努力でもある。

そうはいうものの、人間は「完璧」な存在ではなく、とても弱い意志しか持てない生き物である。また、悪い意味で過去を引きずり、未来を恐れるがあまり、現在を充実させられないことだってある。そんなネガティブな気持ちを一瞬で変えられるような、不安を解消できる10分程度の心のコントロール法則があれば良いのだが、そんな魔法などない。だから、そのような心の弱い部分を埋め合わせてくれるようなセミナーのような同志の集まりがあるのだと思う。さらにもっと大きく考えると、それは宗教にも発展する。もちろん、それを否定するつもりは全くない。何かを信仰して成功や安定を得られ、立ち止まることがなくなるのならば、積極的に自分を肯定できるようなキッカケを得る方向へ進んでいく方が良い。

立ち止まり、砂に埋もれるようなことから脱却する。そこには、強い忍耐力と鋼の根性を併せ持つ精神が不可欠だ。人間は、自分が遣っている言葉や行動で意識が大きく変わっていくようだが、自分の人生の感動と感動の間に自分の幸せを見出せるような人生を送り、そこを振り返ってミックスすることで、今を充実させて未来を輝かせようか生き方の方が断然良い。ただ、キレイ事を言えば、そのような生き方が圧倒的に有利ではあるが、結局のところ、先述したように人間の意思というのは大変弱いものであり、短時間で大きく変化を促せるようなことはなかなかない。

最近は、仕事関係で大きく変化があるので、心の中で漠然とした気持ちも動いている。そうなると、やはり文章の結論部分そのものも抽象的になってしまうようだ。ただ、このような掴み所もないものを表現しようとする努力こそが、自分の人生を受け容れるだけの心の器を大きくする力になる。まだまだ、自分の心の成長は止まらないようだ。だから、いつだって善い方向へ自分の心の状態を保ち、より善い人生を歩んでいきたいものである。

 

 

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