思考力

4者のモノサシ

 

11時間再生のリラックスBGMをかけて、そのまま眠りに落ちた。今朝の目覚めは良いし、寝落ちも早かったようだ。目が覚めて見たiPadから出てくるBGMの再生時間も、7時間くらいだったので、良質な睡眠と言えよう。勝因は、昨日の釣りだ。最近ではお馴染みとなった、局地的な大雨が降るという予報が当たり、釣り座について椅子に腰掛けるなり、「落雷警報が鳴ったから、すぐに避難せよ」という施設内の放送があった。やはり管理場のある釣り場では、未然に事故を防ぐ為、少しのアクシデントも起こらないよう、先手先手を打つ。こうなると、このまま帰ろうかという気持ちにもなった。

初心者の遊びだとタカを括っていた「サビキ釣り」。ただ、千葉にきて以来、魚との格闘に飢えていた私は、サビキ釣りでもしなければ、自分の釣り熱を満足させられなかった。また、管理された釣り場なのであれば、お子様だって悠々釣れる。別に、クロダイや根魚の大物を狙うだけではないし、東京にいた頃とは違って、フィッシュイーターにもなりたかったので、数釣りも悪くないと思った。だから、何回か行っていた釣り場に足を運んで、サビキの竿を垂らしたというわけだ。

先日、4本竿が入っているロッドケースを、漁港に置き忘れるという間抜けなことをやっていたので、持っている竿は一本。だから、釣り場で認められている「竿二本」までの釣りというルールを、一本でやるわけだから、しっかりと遵守できた。しかも、一本であれば、そこに意識を集中させられる。週間天気予報では、関東の梅雨明けも間近であり、夏休みに入れば、小中学生などで溢れかえるであろう釣り場が、今のところガラガラだった。平日の昼過ぎに車を発進させ、かなり遠い施設まで行って釣り糸を垂らせるのは、やはり、独身フリーランスの特権とも言える。

自他共に“WIN-WIN”の関係に持っていける”GIVER”。与えることと受け取ることのバランスがいい”MATCHER“。搾取することしか考えていない”TAKER”。そして、一番損を被る自分を追い込んでまで何かを与えようとする”GIVER”。2種類の”GIVER”をカウントすれば、4種類に分別できるわけだが、会社員の頃の私は、明らかに最後の“GIVER”だった。生徒のために必死に何かをしてしてあげようという気持ちが空回りしたということもあるが、やはり、自分に対しての批判や悪口を避けることを意識するが余り、悪癖が悪癖を呼び、手を抜くという意味では全くないのだが、「頑張らない」という選択肢を習慣化することができていなかった。

昨日の釣りでは、生き残った一本の先端の折れた竿で、たくさんの「サバ」を釣ることができ、向いに住むお婆さんに、多くの手土産の魚をお裾分けできた。とても喜んでくれたし、その後、オンラインの授業があった私は、これを捌く下ごしらえをしてもらいたいという、自分なりの「依頼」をすることもできた。これはまさに、ウィンウィンの関係に持ち込めた“GIVER”となれたわけだ。人に、何かをお願いするということを避け、自分のことばかりを犠牲にして、何かを与えようとすれば、無意識であれ、それを搾取するような人に大切なものを持っていかれ、自責の念だけが残ってしまう。それは、一番避けなければならない考え方であり、動き方でもある。

逆に、“ルーズルーズ”の関係だってある。自分の発言を撤回しつつ、その後の提案も、ただ相手を傷つけるだけの発言をするような人物。コロナ禍で飲食店に強い圧力をかけ、それを陳謝しつつ、新しい制作案を提示した大臣。飲食店の口コミサイトで、利用した店のコロナ対策がしっかりできていたかを、客が判断し、それを基準に安全性を評価するという施策。客が取締役を務めるのであれば、搾取されても構わないと思いながら、奉仕の心で営業している店が、客から変なプレッシャーをかけられ、その店の評判が一気に落ちる可能性だってある。今回の新しい飲食店に対する提案であれ、違う角度から店をボロボロにするだけの方向へ進んでいくだけだったと感じている。

同じ党の中での対立が深まり、自分にも総理大臣になる資格があるとかないとかで揉めている。中国製のワクチンが効果がないという報道がされる。これも、政治に対する個々人の立場が変われば、見方も変化するのであり、党を支持している人たちには重要な報道ではある。ただ、政界の内容の仕組みを、このコロナ禍の勢いと共に、賛成不賛成を決めることで、コロナが収まる訳でもない。もちろん、選挙で票を入れるべき人を考えるには、多少の参考になる程度ではあるとは言える。また、中国製のワクチンの摂取回数と新規感染者数の割合を考えられるような、データの正確な「分母」の数字がなければ、その数字の恐ろしさや安全性というのに対しての客観的な判断はできない。要は、マスコミの表面的な「煽り」に対し、正確な自分の考えを持つためには、データと理由が安定していなければならないのだ。

車の暴走事故を起こし、容疑を否認しつつ逃げ回っている被告。それを懸命に止め、新たな悲惨な事故や事件が起こらないように奮起している遺族。暴走自動車の犠牲となった遺族と逃亡巣続けようとするの戦い。先月他界した私の母への悲哀も大きい中、これから無限の可能性を持つ3歳の娘と、その子の成長を見守り続けようという遺族の父の苦しさと悔しさは計り知れない。インターネットの普及により、遺族の会見を「ノーカット」で視聴できるような時代。これは、地上波ではできないことだ。事故を起こした犯人が、求刑を受けたことに対し、ここまで長い時間がかかってしまったこと。また、7年という「求刑期間」が、ただの「休憩期間」にならないかと心配してしまう。

自分の成長を促すための言葉は、必ずポジティブでなければならない。逆にネガティブな言葉を、たとえ自分の心の中だけであったとしても、お経のように唱え続けていれば、決して良い結果を生み出すことはない。これは、自分の経験上であっても分かることであり、科学的にも正確に証明されている。それなのであれば、やはり前向きな考えを保ち続けるためにも、必ず自分の心の中の軸をブラさないような正確な物差しを持ち、それを軸にして、正しい判断を行える人物である必要があるのだ。

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