思考力

本当に気にしていない人

 

母に依存していることを、一番よく理解してくれている人へ会いに行く。すでに予約が入っていた、私の精神科の主治医だ。それなりの病院の閉鎖病棟から出てきて、どこの精神科の病院でもあっても、治療になっているのかどうなのか分からないような薬を飲んで、このまま自分の人生はどうなってしまうのかと不安に思っていた。極度の躁状態から、一気に気持ちが落ち込み、食べることしか喜びがない、人生で2回目の「3桁目前」の体重だった。

「統合失調症」だというの誤った診断で、中から鍵が開けられない部屋に閉じ込められ、1日に信じられない量の薬と点滴をされていた自分に、退院してから担当する全ての医者の診断は、ずっと同じ診断ばかり。隔離病棟で「張り付けの刑」になっているときにでさえ、自分は「躁鬱病だ」と言っていたのに、誤診をされて“VIPルーム”で宿泊費なしのキツイおもてなしを受けていた。その「誤診」を、今から医療裁判にかけてもいいが、そんな時間と金をかけたところで、人生の無駄。ただ、今日、東京で診察をしてもらう主治医は、その道のトップにいるほどの人なので、その人が「証人」になってくれれば、勝てるはずだ。

ただ、「めんどくさいからやーらない」と言って断られるのがオチであるし、私の過去の長い人生で、自分がネチネチと恨み辛みを重ねてきた愚かさを、十分理解している人。だから、そんな皮肉めいたセリフが予想できる。こんなやりとりを楽しむ為に、今日もTOKYO渋谷へ。毎回のバカ話の中で、Coreとなる内容を把握してカルテに書き込み、薬を微調整する。私の主治医の薬の処方は「天才的」と言っていた医師もいた。二十代後半に、イマイチ自分の心の波長との付き合い方が分からず、その先生の紹介で大学病院へ入院を繰り返していた時の医師の言葉だ。

私は、もう20年以上の付き合いとなるこの主治医の診療中に、泣いたことは一度もない。ただ、母を亡くした今、思っていたほど乱れてはいない心の状態であっても、泣かないで身体の状況を伝えたり、薬の調整の相談をすることは難しい。泣きながら診察室を出てくる患者は、年に数回ほど見かけることがあったが、自分もいつかそんな状態になるはずだと思っていた。そして、母へ強く依存していた私の唯一の理解者の医師のところへ。母がいなくなったこれからは、私の黒歴史を一番知っているのは、この主治医だけとなってしまった。

この記事は、なかなか眠れなかった、昨晩の日付またぎの深夜に書かれたもの。眠剤と安定剤を飲んだ後に書いた記事なので、ところどころ表現や言い回しがおかしい箇所があったので修正した。悲しみを薬で紛らわせていると、やはり心は一時的にせよフワフワした状態になる。これは、これからも一生、薬を飲み続けることを認めた私にとって、プラスのことだと思い込むようにする。私が、精神薬を飲み始めた頃、「眠れなければ眠らなければいい」「精神病は甘え」「精神薬は危険」などという偏見がまかり通っていた。そして、なんだかんだ言っても、そんな固定概念が、完全に消えたとは言いがたい。

私の病気を打ち明ければ、もちろん「気にしていない」と言ってくれる人ばかりだが、やはり心の距離に開きが出てしまうことは、事実。だから、私の病気を「病気」だと、しっかりと認識している主治医との会話こそが、一番の心の拠り所になる。これは、間違いない。今から電車に乗って、東京へ。蒸し暑い今の時期に、起きる間際の「寒気」。これが、医師のいうとおり、薬の「禁断症状」であるのならば、「処方ミスだ」と言って、軽く冷やかしながら薬を変更してもらおう。その時に、涙がこばれていなければいいな。

 

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