思考力

HSPなシンデレラ

 

私の母は、とても人の目を気にする、極度の人見知りで、全く子離れができない親であった。人の目が過剰に気になるというのは、「HSP」という症状で、日本人の5人に1人が発症すると言われているポピュラーな症状だ。ただ、私の母は、重症・重篤と言っていいほどの人であった。人とコンタクトを取ることを不得手とするが、人から何かを依頼されると断れないお人好しの性格も、最期まで消えぬままであった。また、モノを捨てられず、大量に物を購入する「買い物依存」の傾向があり、家にはタグのついた物が溢れかえっていた。安物をドカッと買うことが、生きがいだったのだろう。

大変甘えさせていただいた私がいうの言うのも変だが、今考えても過保護の領域を超えた、猫のように可愛がられた私が、こうやって金の使い方が解らぬまま、中年になってしまうのも仕方ないことなのかもしれないと思っている。世間で言われている年齢差は、「8050問題」であるが、うちは高齢出産家庭だったので、「8040問題」であり、妹を含め、普通の家庭より、事態は悪化し易い傾向だ。もはや、私にとっては過去のものになったが、それと同時に、私の人生の黒歴史となった「ギャンブル依存症」であれ、過剰に熱くなった自分を止められるだけの、説得力のある話を、母とは日常的にしたかったものだ。

貧富の差が生まれる要因として、両親の子供への資産投資が大きくものを言うことは事実である。私も振り返ってみれば、魚の貰い方ではなく、魚の獲り方を教えてもらいたかった。世の中の仕組みを、大きく広く見渡せるような視野を持つための話し合いをできるよう余裕のある家庭が良かったと後悔することが多い。でも、母の愛情を、たっぷりと受けてきたことは事実だから、そこを悪く言うのは避けなければならないと思っている。金銭面で言えば、「起きた時が朝」のような生活を、通算で何日過ごさせてもらったのかもわからないのだから。

パチンコで熱くなるあまり、母に強く当たってしまった。最近は、車の運転中のときは特に強く、どうしてあんなに情けなく親に当たってしまったのだろうかと後悔することが多い。日本は、高度成長を経て、ゆとりが生まれつつも、核家族化が進み、その多忙な生活から、血の通った生活を営める家族が激減した。まさに、うちの家庭だ。加えて、高齢者が増え続ける日本が弱体化していくのは、もはや止められない。

ただ、私個人が日本で生き抜いていくことはできる。歴史の中に名を刻み込めるような、自分の生きた痕跡を遺したい。もちろん、目立ちたいなどという気持ちはほとんどない。私だって、筋金入りのHSPの血が流れているのだから、大きく目立ちたいとは思わないようにする。あくまでも、自分の幸福の尺度というのは、自分の心の中に秘められているもの。それならば、誰かに羨望されるようなことを目的としたところで、虚しさしか募らなくなってしまう。悪いシンデレラ的発想の悪い意味ではなく、私の顔を鏡で反射させた時に、「私は私なのだ」という気持ちが大切だと思っている。

-思考力