思考力

Juwish Mother

 

私は、英語講師として、塾や予備校で多くの学生に、英語の学習を通し、受験問題の解答のハウトゥーだけではなく、これから歩むべき生き方の指針や、思考力を育むことの重要性を伝えてきた。もちろん、指導する相手は「受験生」であることから、授業中に話す内容の多くは、問題を正確に解くための手順であったり、時短のための問題の対処法であったりする。当然だ。教室にいる生徒たちは、あくまでも授業料を支払って、受験を突破するためのノウハウを求めて受講しているわけであり、私の「ありがたい」人生論などは、二の次三の次なのだ。もっと言えば、そのような話を雑談と捉えられてしまい、私を嫌悪する生徒もいるが、私としては、受験に毒されない為には、受験の後に続く学習をしてもらいたいと思っている。だから、やはり広い視点で物事を考えられる力を養成してもらいたいと思って、「受験」問題とは直接関係ないと思われる話をする。

人生の半分を英語講師として努めてきた私は、やはり入試問題を正確に解き、的確に指導することができる。英文法問題であれば、パズル のように、和訳に頼らずに解けるし、その思考過程を明晰な状態で解説することもできる。生徒の英作文の添削であっても、左から右に眼を動かせば、どこかで引っかかるところがあり、そこが減点部分であり、瞬時にピンポイントで、その部分を赤字で訂正できる。そのような力は、一朝一夕に身につくものではなく、長い時間熟成させてできた財産だ。そして、そのような知的価値を泥棒されることは決してない。目に見える財産は、奪われる危険性を孕んでいるが、学んで得た経験と知識は、誰のものでもない自分のものだ。

プロの世界は、甘くない。そのような第一線の舞台で、自分のパフォーマンスを妨げるような不安を取り除く方法があるとすれば、短期間で身につくような貧相な小手先テクニックなど存在することはなく、辛抱強く自分を変えられるタイミングを待ち、一度や二度は、大きな損失の経験は付き物だと割り切れるタフさも必要だ。凡人で終わる人に共通する考えの多くは、現状に甘んじた「今だけ」の刹那的快楽に溺れたり、「原因他人論」で人のせいにする逃げの姿勢とは大きく異なり、成果を出す人の武器は、物事を整理して考える力に長けており、自分の求めている未来を読み解く力がある。今していることの目的は何か。もし、一般的に考えている事柄や、自分の考え方が正反対であったのなら、どのような現象が起こるのだろうかという逆転の発想を、常に持ち合わせている。このような考え方に至るまでには、実際に「運」に左右されることも多く、教育環境、特に親のしつけなどに関係してくるところも大きい。

そのような点において「ユダヤ人」の教育理念は、ズバ抜けて優秀だ。という言葉。ユダヤ人の教育は、歴史的には昨日今日始まったモロい教えではない。世代継承されてきた信仰内容が真理とされ、公認された体系的な教えだ。”人を羨望することなく、自らを戒律する”。さらに、そこから発展し、“他人が渋っていることをやる”というユダヤ人特有の他者貢献優先の思考形式的特徴がある。その代表が「タルムード」だ。古代ヘブライ語で「学習」「研究」を意味する。

欲求のままに物質的獲得を目標としない。いずれ朽ち果てる肉体に遺す物は、物体ではなく「思想」「本質的特徴」であり、得た物は、独占することなくシェアし、他者貢献し、社会へ還元することを優先する。そうすることで、「最悪なことが最良のことだと、信じなければならない」という、皆で一丸となって困難を切り抜けるという基本となる考えに至る。まさに、ピンチこそチャンス。この教えは、我々が直面しているコロナ禍で、多くの人が喘ぎ苦しんでいるときに、パニックにならず、そこに新しい可能性があると信じる気持ちが大事だという気持ちにも通じると言えよう。

ただ、日本人が古くから考えている「お金が卑しい物」という考え方は持っておらず、「心の平安は財布次第」という現実的な考え方も持っている。お金にまつわる格言も多く、私の毎朝の日課となった「リベラルアーツ大学」の両学長の考え方に一致しており、両学長自身が、ユダヤ人の考え方を称賛している。資産形成の無頓着極まりなかった自分は、これからの人生で大いに参考にしていかなければならないのは、確実にユダヤ人の考え方だ。金融リテラシーを上げ、経済的自由を獲得していこう。

また、ユダヤ人は「議論」を大切にする。「舌の先に幸せがある」という考え方。私は、とても共感できる。自分自身、幼い頃に両親と話し合う時間がほとんどなかった。親の教育が少なかったせいか、自分がどの方向へ進むべきか分からず、また自分が苦しくて苦しくて耐えきれないような時でも、親の前では平静を保っていた。自分のために忙しく働いてくれている親に、迷惑をかけたくなかった。ただ、これは「お金」を稼ぐことで生じた弊害でもある。必要最低限のお金と、家族で落ち着いて話し合う時間は、何よりも変えがたい。私は、性に関しても、暴力に関しても、もちろん「お金」に関しても教わることはなかった。今、本当に穏やかな時間が必要だったのだと思っている。

 

「最も良い教師とは、最も多くの失敗談を語れる教師である」。これは、タルムードの教えの中で、最も心に響く。自分が、幼かった頃、家族で過ごす時間が少なかったことを悔しく感じていた。そして、そこから本当に多くの疑問が生じ、何を頼っていいのか分からなくなった。自分の中に自分を押し殺して生きていくことの苦しさがよく分かる。だから、私は、授業中に「生き方」の話をする。もっと言えば、そのような話を「しなければならない」と思っている。人間は、ロボットではない。感情がある。特に、若い人たちには「迷い」がある。そのような人たちに向かって私が伝えるべきことは、与えられた選択肢の中から正解を選ぶという受け身の人間を造り出すのではなく、やはり「思考力」を養成し、選択肢を与えられずとも、自らが積極的に問題意識を持ち、その打開策をシェアできるような環境を自分の力で養うことだと思っている。

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