思考力

シラけた現場で熱くなる

フリーランスには関係ない、ゴールデンウィーク。一体、いつまで続くのかと思ったら、何気に今日と明日で、とりあえず終わり。とはいえ、6日の木曜に有給を取れば、さらに「4日間延長」となってしまう。誰も入っていない海で波乗りをするのは、何かのアクシデントがあった時に、取り返しがつかなくなったり、誰も入っていないということは、やはりコンディション的に良好ではないと思って、他へ向かう。ただ、定番の人気スポットは、一度休日に入ろうものなら、一気に人が増えてしまい、しょぼい波の日であったとしても混雑している。

これが、オリンピック効果なのかウェットスーツの飛躍的な革新のおかげなのかは分からない。多分、サーフィンという魅力のあるスポーツをレジャーとする人が増えたのであり、コロナ禍でストレスが溜まった人達にとっては、最適なレジャーになったことが大きな要因だと思われる。このように、波乗りを「レジャー感覚」で始めた人と、精神の癒しを図るための治療と捉える人、果ては、精神修行の一環として波を追い求めている人が入り混じった「カオス」と化す。

昨日、ブログを書き終えてから、車に板とウェットを放り込んで、オリンピック会場のひとつ北上した人気スポットにて入水したのだが、プアな波に多くのサーファーが波を追いかけ、ゆったりと心身ともに癒されることはなかった。ただ、眠りに関しては、どのような結果になるのかの期待は高くなっており、コアラマットレスのお手並み拝見ということで眠りについた。しかし眠れない。期待が焦りを呼び、最後には、コンビニに行って、弁当とスナックを買い、そのまま腹の中に入れて血糖値爆上げで眠った。

ただ、目覚めはスッキリしており、身体がシャンとしている。カーテンを開けると日差しが降り注ぐ……、とは言えず、まだ夜中の3時を少し回った程度だった。コアラマットレス に、即効性のある睡眠を求めるのは賢くなく、あくまでも短期間で深い眠りを得られる商品だという認識でいいのかもしれない。『君の名は。』で期待しすぎていた『天気の子』。世間の評判に流されて観に行った『鬼滅の刃』。それらと同じように、求めるときの期待が強すぎたのだと思う。とりあえず、二度寝をしたいと思う眠気は残っていないので、「朝ジャズ」を流しつつ、今日のブログを作成している。

昭和の時代の考え方は、「右向け右」。少なくとも、私が育ってきた昭和の時代の教育において、特に教師に対して反抗するなどは御法度であり、教師は「人格者」という扱いだった。そんな私が、平成に「先生」と呼ばれるようになり、「令和」でも同じようにそう呼ばれる。令和の教育時代では、教師が生徒を殴るどころか、生徒を強く叱責すれば、それがそのまま保護者に伝わろうものなら、その組織そのもの全体がダメージを受けかねない。まして、体罰でもしようものなら、その後の人生で「先生」と呼ばれることはなくなり、職を失うどころか、借金を背負うこととなる。

今、10代半ばの子供をもつ親世代は、私と大きく年齢の差はないはず。そうなってくると、同じような厳しい指導を受けてきたはずなのだが、特にサービス業である塾という教育現場での叱責を、「往復ビンタの回し蹴り」をしたかのようなクレームをする「モンスター」となって、怒鳴り込んでくることもある。コンビニのようにフランチャイズ展開している塾ではなく、スターバックスのような「直営方式」で成り立っている塾では、自分の身動きを取れない状態で、それを改善する手立ても無くなってしまう。

暗黙のうちに、自分が飼い慣らされた牛や馬のような扱いに気づくこともなく、ただただ歯車の上のチャップリンのような「お金の奴隷」と化した死んだような目をしている社員たち。仕事にプライドを持てなくなるのであれば、少なくとも教壇に立ってはいけないと思っている。それでもなお「生活」のために仕事を続けているようなら、その人から指導を受けている生徒は「不幸」としか言えない。ただ、このようなご時世で、誠意ある魂の篭った授業をできない塾や予備校が、一気に淘汰されることは容易に予測できる。

作らなくてもいいプリントを作り、せめて自分を信じてくれている生徒の期待を裏切りたくなかった。深夜から明け方までオリジナルテキストを作成することに熱中するあまり、完成した瞬間に胃の中にあるものを全て出してしまった。それでも這うように校舎に向かったのは、生涯賃金を増やしたいというような打算的な気持ちからは、生まれなかったのだと思っている。そこを正当に評価してくれない、あるいは、評価してくれたとしても「100円」程度しかコマ給は増えない。

もちろん、見返りを求めずに作成するプリントで、生徒たちの喜ぶ顔を見ながら授業をするのは、何ものにも変えられない喜びを伴うやりがいを感じられた。ただ、仕事が終わってからボランティアで作るプリントを、コンビニのネットプリントでプリントアウトしていたのだから、収入という面に関して考えれば、無給労働ならぬ赤字の作業をしていたこととなる。一万円札を破る勇気を持っている人は、かなりのレアな存在だが、見方を変えれば、私は「ソレ」をし続けていたことになる。

昭和の青春学園ドラマ『金八先生』。荒廃した高校を再建する昭和の『スクールウォーズ』。そんな熱い気持ちで生徒と接したり、若い講師に説教したりすれば、もはや私の口から発せられるアドバイスは、耳障りな「ノイズ」にしかならないようだ。もう、このような熱い気持ちと共に学習意欲を掻き立てる時代が終わっていて、クールで効率的な指導ならぬサービスが求められていくはず。そんなサービス提供者になれれば、教師としてやるべき仕事は、今までの1%ほどの量になるのかもしれない。さらに、思考力を養成しつつ学習意欲を高めるための授業などせず、ただただ教科の解答合わせだけをするだけで事が終わるようであれば、単調な「シングルタスク」を淡々とこなすだけで良くなってしまうだろう。

ただ私は、時代がシラけた状態に変遷の一途を辿ったとしても、卒業してからであっても、「先生と連絡を取りたい」と思ってくれるような教え子と巡り合えることを期待している。そのために、思考力養成予備校代表としての教育理念を曲げることはできないのだ。

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