思考力

プラシーボ薬

折れないハート、挫けない精神、世論に流されない意思。そんな強い心を求めて、生活してきた。そして、それらをこれからもずっと継続し、強い集中力をキープし、それらを支える勉強を通して「知性」を高めていくことになるだろう。もちろん、頑丈な身体を手に入れるための「健康」も手に入れていく。もちろんこのような気持ちは、どんな人であっても同じだろうし、人間以外の生物であっても、本能的に同じ考えを持っているに違いない。ただ、特段に「人間」は、デリケートな生き物であり、心を病み、あまりにも押し潰されてしまえば、最悪の場合、自死を選ぶことさえある。これは、強く理想を追い求めるがあまり、それと現実のギャップに打ちのめされて追いやられる、最悪の「終着点」。いや、本人が選んだ選択なのだから、最高の「ゴール」なのかもしれない。

太陽と月のつながりを強く体感できる、桜が花盛りの春の季節。そんな爽やかな朝っぱらから暗い文章を書いている。昨晩、精神的な疲れを隠しきれず、夜桜でも観にいこうかと考えたが、わざわざ夜の人混みの中に突っ込んだとしても、あまりオモシロイことなど起きそうにもなかったので、そのまま海へと車を走らせた。カーステレオを消して、ヘッドライトだけを点け、波の音を聞く。エンジンの音と波の音。うっすらと白波が岸辺に打ち寄せていた。車のヘッドライトの光などは弱いので、海全体を目視できない。ただ、波の音と浜辺に打ち寄せる白波の強さから、かなり波が大きいことがわかる。

Back to school concept, Asian young Student in casual suit reading the book on the wooden table in library of university or colleague with various book

その後、そのビーチから程近い温泉施設で、ゆっくりと心と体を癒すべく、サウナに入って血流を良くしていた。古代人類は、科学的な薬などなくても「自然治癒力」で自らの傷を回復してきたわけであり、長い地球の歴史から考えたら、西洋医学の治療で用いられる化学物質薬を服用するという治療は、瞬間的に突如行われた対処療法とも言える。仮に、西洋医学が存在しなかったとして、風邪をひいてしまったのならば、熱が下がるまでゆっくりと休み、食欲が出たら食べる量を増やす。それを徐々に発症前の健康な体へと、ゆっくりと戻していたはずだ。

今のビジネスパーソンにとって、時間と生産性は、何よりも優先されなければならず、過酷な労働環境下では、風邪をひくことそのものであっても、上司からのカミナリが落ちる。それを避けるために「眠くならない風邪薬」を服用して激務をこなしていく。眠って安静にし、回復を待つことが本来の治療といえるが、真逆の方向での荒療治。病院へ行く時間さえないのだから、裸一貫の剥き出しの状態で酷使される、まさに「社畜」という表現以外の何者でもなくなってしまう。

ひとつ年齢を重ね、幸せな春の午前中に、今までの人生を振り返ってみる。こうやって小鳥のさえずりを聞きながら、自分の心の形を文字にして表現していると、今までの人生が、いかに虚構に満ちた無理のある「擬似的人生ゲーム」だったかを思い知る。会社に尽くすことが美徳とされるという強烈な先入観。体を酷使してボロボロになってでも出社することが正義だという使命感。後ろに倒れないように前屈みの姿勢で仕事にのめり込まなければならないという義務感。今会っても絶対に許せないニンゲンに対する憎悪。そんな逼迫感に満ちた世界で、どんなチャンスが転がっているのだろう。仮に、何かを掴める可能性があったとしても、それを拾い上げる気持ちや暇すらなかった。

悲劇の舞台で「操り人形」の如く踊らされている労働者であっても、時代の流れとコロナの後押しで、もはやステージそのものが消えて無くなっていくことは避けられない。ただ、中途半端に賢くて、忠誠心しか持てない「易しい人」は、これでも何とか今までの足場が揺らがないはずだと信じてやまない。もはや、企業という組織の中で植え付けられた、自分の意思を持たない「洗脳」されたガラクタになってしまう。そんなガラクタになってしまう事実を認めなければ、洗脳しようとしている黒い組織に簡単に裏切られ、“AI”に仕事を代替されてしまう。そうなった時点で気付いても遅すぎる。

成功したいなら、自分の目的に合った勉強をしなくてはならない。そして、その分野の先駆者に学ぶことが一番効率的だ。今は、インターネットを介して、有料級の情報がゴロゴロ転がっている。最新のトレンドの中で、段階的なステップを踏んでいけば、猿でも理解できるようなシステムで、新しいビジネス分野の学習ができる。深い知識さえあれば、詐欺師に騙されることなく、自分の可能性が見えてくることだってある。父と母が出会い、私が生まれ、44年後の今、最も時間的余裕を感じられている。時間を味方にした長期的な戦略を掲げ、常に健康な身体でいれば、何かに打ち込んで、大きな成果を上げられるということもわかった。

母と父が出会った時代とは、大きく時代の価値観が変化し、現在、猛威を奮っている「新型コロナウィルス」という予想だにしなかった深刻な脅威から身を守るため、それぞれが各々の新しい生き方を模索し直さなければならない。そして、古い価値観に打ちのめされて、従来のレールから外れてしまったと感じている人こそ、今の大きな時代の過渡期で、爆発的な大きなチャンスを掴む一番近い場所にいるということを知っておくべくだ。

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