思考力

馬小屋の中の自分

現在、朝の5時前。眠れていないわけではない。日付を跨いだと思うのだが、結構深く眠れた。まだ睡眠アプリの計測時間終了まで時間があるので、実際にどれほどの長さの睡眠だったかは分からない。もしかするともう一度眠りに落ちるのかもしれないのだけれども、とりあえず起きてしまおうと思い、コーヒーを淹れている。このまま眠らないでいられれば、大きなタスクを数多くこなせる気もする。

取り立てて昨日やったことといえば、新品になって帰ってきたルンバを店舗まで取りに行って、そのままカラオケに行ったくらい。そこで大きな声で発声したのがよかったのかもしれない。ただ、帰りに牛丼屋の駐車場で、こちらが優先なのにも関わらず、グイグイと車を押し付けてきて、私が慌ててバックしなければならないような無謀なドライバーがいた。思い切りクラクションを鳴らしてもいい場面だったのだとも思うが、訳のわからない輩が出てきて、トラブルになっても面白くない。ただ、再び自分の気の小ささが露呈されてしまったようで、フラッシュバックが起こってしまい、現場でしっかり怒りを放つという行為が、またしてもできなかった自分の情けない姿に、ほとほと嫌気が差してしまった。

アップルウォッチを購入して、どれくらい経ったのか分からないけれども、なかなか頼れる相棒となってきており、ツボを抑えた使い方ができるようになってきた。特に、自分の場合、「ボイスレコーダー」の機能を第一優先に考えて購入したので、この機能が便利に使えると、日々の生活で漏れがなくなってくる。いちいちメモを出さなくても、手首に話しかけてやりたいことや購入しようとしている小物などをレコーディングしていれば、やはり「やり忘れ」を大きく防ぐことができる。そう考えると、機械で動く物を上手に活用したくもなるもので、流れに任せて電動歯ブラシまで購入してしまった。歯の健康というのは、とても大切であり、歯というのは消化器官の中で、唯一自分で手入れをできる場所でもあるのだから、ここへの投資も、決して惜しむべきではない。歯医者だって、わざわざ東京まで3時間以上かけて治療を受けているのだから、電動歯ブラシのしゅっぴなどはカワイイものなのではないだろうか。

食洗機やオートロック、AIに指示出しをすれば自動でエアコンをつけたり照明をつけたりしてくれる機器。それらを生活に取り入れてみたいと思っている。時間的ロスは少なくなるし、何よりも今後の時代の先取りをしておきたいとも思っている。こんな気持ちになれたのは、アップルウォッチを装着するようになってからだ。機能性ゼロのビンテージ時計や、ブランドの価値にしか対価を払っていないような服、そんな無駄な出費ではなく、やはり日常生活での物の価値基準を、しっかりと見定めておかなければならない。消費を促し、購入意欲と承認欲求をビリビリと刺激するようなマーケティング戦略から距離を置くことは、常に念頭に入れておかなければ、それらに踊らせられだけとなってしまう。

最近では、捨てるべきものが少なくなり、生き残っている物を、丁寧に収納することを意識し、買えばゴミにしかならないような百均のアイテムを、念には念を入れて購入を迷い、もし購入したらどこの部分の何を収納するのかということを考えるようにしている。しっかりとしたイメージが湧かない収納物に関しての購入は、なんとしてでも避け、買ったのであれば、それを積極的にしているのが収納テクニックに良い影響を及ぼしているようだ。調子に乗って、ガラクタになってしまうような収納アイテムをまとめ買いすることは避けたいが、少しずつ吟味して買うことで、さらに必要なものと不要な物の分別がつけられれば、これに越したことはない。この習慣もどんどん積極的に身につけておこう。

インテリアに凝ったり、生活に密接に関わるものへ投資する。若い頃は、自分の部屋なんていう場所は、寝て食事ができれば良いという考えばかりだったこともあった。でも、そんな若い頃から精神を病み、精神の障害に苦しんでいるのであれば、中年となった現在、自分の身の回りの整理整頓に努力を惜しんではならない。小学生の頃の学級目標などに、整理整頓をすることや、掃除をすることなどが掲げられていたが、実はすでにこの記事で書いていることの多くは、小学生の頃に習っていることでもある。もちろん、日焼けをするほど良いとか、乾布摩擦で風邪をひかなくなるなんていう根も葉もないようなど根性を売りにした考え方もあったのも事実だけれど、やはり自分の身の回りを整理するということが、精神衛生上良いことだというのは、昔から変わらずに信じられている。

フラッシュバックが強く、もし今、私に危害を加えたブラック企業の上司に出会した時のシミュレーションを考えているときに、「自分がやられて嫌なことは、他人にしてはいけないということを習わなかったのか?」というセリフが思い浮かぶことが多い。こんな対人関係におけるルール以前のマナーすら守れないような会社に籍を置いていたのだから、自分の人生の汚点が多く付着してしまった。これを時間の無駄だと考えるのか、これからの人生の肥やしと考えるかは、今の自分には分からない。それでも、自分の中のどこかで解決していかなければならないトラウマ問題でもあるし、決してなくならないであろうフラッシュバックとうまく付き合っていくために必要な今後の対人関係をやる過ごす技術でもある。

心理的要因で大きく崩れ去ってしまう私の精神の状態であるが、そのことをシッカリと心の中で理解しているといないとで、自分自身との関係までもが変わってしまうのかもしれない。内なる自分との付き合い方。対人関係の究極というのは、このように考えると、舞い踊らされている自分のことを、うまい具合に飼いならす技術であると言えるのかもしれない。

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