思考力

たとえボムが割れても

 

朝の習慣は、とても大事である。例えば、私の場合、ブログを書くということを日課にしているわけだが、よく言われる「歯磨き」のような習慣となった。書かないと気持ち悪い。当初、2ヶ月持つかどうかということばかりを懸念していたブログ毎日更新だったが、もはや、一年書ききるのは目前である。こうやって、早朝覚醒によってソワソワする日の出まえの午前3時であれ、モーニングルーティンのブログを書くという習慣をしていれば、有意義な早朝覚醒ライフを送れるということになる。

このような身に付けるのが難しい良い習慣もあれば、逆に、すぐに依存性と耐性が出てきてしまう悪癖もある。食べ物などは、特にその代表格であり、精製された白い炭水化物などは、まるで違法ドラッグのような依存性があるという。糖質をたっぷり体内に注入するのは、もちろん体に悪いのだからタチが悪い。摂食障害と買い物依存というのは、日常生活において、それなしではやっていけないから非常に抜け出すのが難しいと言われるが、まさに食べ物の体内への流入制限は、困難だと言えよう。

私の場合、まるで大きなボムが割れるかのような大きな波で、サーフィンをした後の「大盛りラーメン」というのは、格別である。このこってりラーメンには強力な依存性がある。また、良くも悪くもサーフィンにだって強い依存性がある。流されやすい私は、波乗り前後の強い誘惑が日常生活に潜んでいると言えよう。このように、人生の中で、自分が悪癖だと思っていることと、良いと思われる習慣の線引きというのは、ここの価値観によって変わってくるが、やはり、どんな習慣であれ、日常生活に支障をきたすほどのものであれば、毎日のルーティンから、それを片付けていかなければならない。

体に炎症を起こすとわかり切っている食べ物であれば、それを一気に制限すること。中途半端に摂り入れない。長い目で見たら蓄積されていく、毒を吐いて体を守っていれば、健康が守られる。これは、ミニマリストの考え方と酷似していて、小さく少なく丁寧に、物を手放していくことで得られる豊かな生活と人生すること。これによって、生活費そのものの削減につながったり、余計なことを考えずにリラックスして眠りにつくことができるようになる。

目的あっての人生。そんな人生を充実させるためには、少しだけ立ち止まって、良い悪いの線引きの時間くらいは、考えられるゆとりが欲しいとは言える。もちろん、頑張りすぎてはいけない。周囲を片付けることに躍起になるがあまり、自分が大切にしている何かを失ってはならない。人脈もお金も大切。ただ、そのような人生の中での断捨離には、少しだけでもいいから自分の中の「基準」を明確にしなければならないということは、やはり記しておこうと思う。

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