思考力

風に靡く

夜だけは、デジタルデトックスをする。昨日、そんなことをブログに書いたので、昨晩は、家に着いてからパソコンの電源を一切つけず、スマホも触らなかった。iPadで、ヒーリング系の音楽をかけて寝ることに集中した。ただ、そこまでしたところで、私の入眠が一気に改善されることもなく、いつも通り、自販機まで甘いジュースを買って飲み干し、なかなか到来しない眠気を誘発するために、炒め物を作って眠った。眠剤が効いたまま歩いてコンビニまで行こうかとか、自転車で、いやいっそのこと車で、などという不謹慎どころの騒ぎではないことを考えていたことも事実だったので、この夜の入眠困難に関しては、なんとか対策を練らなければならない。

でも、夜に人工的な光を遮断したこともあってか、目覚めは良く、もっと眠っていたいところだったが、どんどん覚醒してきたので、そのまま起きてしまった。フッとフラッシュバックはあったのだが、とりあえず心の中で炎上することもなかったので、iPhoneを開けてみれば、今日は11月時中旬並みの冷え込みだったらしい。私は、先日購入した量販店の真冬用の掛け布団があったので、それほど寒さを感じなかったし、ダウンジャケットを着込んで眠ることもなかった。歯磨きをしながら、雨戸を開けにポーチへ出ると、同じアパートに住む人の中には、エアコンをつけている人が数人いたくらいだったので、やはり冷え込んでいたのだろう。

「無理をしない」という言葉がある。私は、この言葉がとても嫌いだった。無理をするくらいベストを尽くさなければ、自分の力の限界点は超えられないと思っているからだった。ただ、そんな生き方ばかりをしていたから、途中で限界が来てしまって、全てがポシャってしまうことばかりだった。それならば、何もしなければ良かったのかといえば、そんなことはなく、自分の中で何かしらの予定や計画がないまま、人生がダラーんとしてしまうことも多々あった。どこまでが境界線なのかわからないし、そもそもの境界線なんていうものは、ケースバイケースなのだと思う。だから、あくまでも富士山の山登りで、いきなり100メートル走をするようなペースで飛ばしてはダメだ。あくまでも、逃げ切りの馬ではなく、差し馬にならなければならない。それに、そっちの方がドラマもあるし、カッコよく映える。

今、自分はどんなことをすべきなのか、昨日少しだけ考えてみた。今の自分が、今までの自分の経験でできうること。やはり、それは英語講師として重ねてきた実力で、何かに打ち込もうとしている人に、具体的な目標を達成させられることなのだと思う。やはり、そこにしか私の道はないと思う。こじつけではないが、それ以外の道を選んだところで、「逃げ切る」ことはできないと思う。やはり、経験に裏付けられた確信というのは、とても強い。

毎日、海岸線を車で走っている。港の駐車場に車を停めて、ぼんやりと海面を眺めてみる。潮風を感じるために、車から降りないで、運転席から海を眺めるだけの日だってある。今は、肌感覚よりも、視覚の方だけで満足できることの方が圧倒的に多い。これが、何故なのかはわからないけれども、自分の中で「心地良い」という方を選んでいれば、それはそれでいいと思っている。それこそ、無理やり自分を行動に、意味を見出そうとすれば、それは「無理をしない」ということに反してしまうからだ。だから、こんな海蔵を走るドライブに、制限や目的などを設けない方がいいと思う。自分の中の心の風に爽快感を感じられるのであれば、それに従ってなびいていればいい。そうだ、やはりこんな生き方で自分を進めていくことが、自分に逆らわない生き方なのだと思う。

-思考力