思考力

広く穏やかな水の下を支えているものは

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Silence is gold(en).「沈黙は、金なり」。 有名な英語の格言である。続くは、「多弁は、銀」となるのだが、私が「肉食系」と考えている英語圏の人たちが、「静寂」に趣を感じるとは、彼らの考え方にも根源的には、松尾芭蕉的な「蛙」が飛び込む水の音があるようだ。「静かなる水は、深い」という格言もある。これ以上の英語圏の人たちの和風な考えの詳細については、ご自身でお調べ下さい。

それでは早速、昨日参加した茶道の師範の「お茶会」で学んだことを、昨日のブログよりもっと踏み込んで、今回は、その現場で得られた経験を基に、茶道師範の「沈黙の中で支えられている影」の考え方について、具体的に記事にしてまとめてみることとする。pastedGraphic_1.pngベランダには素敵なお花

玄関が開き、ヌメっとした湿度のある温かさ。香の匂いが、さらに湿度を上げているのか、空気そのものが重い。襖を開けると、向かいの年配の女性が、茶道の衣装を身にまとってシッカリと座っている。キリッとしつつも、いつもの温かい目つきで迎えてくれる。しかしながら、やはり空気は重いままだ。弟子の手つきは緊張感に包まれており、動きがぎこちないところでは「指導」が入る。

予想通りといったところだ。なにぶん、超一流の稽古場に入った経験は、数回あるし、達人と呼ばれる人たちがいる場所や、常軌を逸している洗練された教会の礼拝などの場所に足を踏み入れた経験は、今までの人生で、何度か経験済み。だから、このような「異空間の光景」が繰り広げられていることは、想定していた。スーツにネクタイで正装して行ったのも、そのような雰囲気に対しての「盾」だった。

ただ、いつも挨拶している向かいの年配の女性(以下、「先生」とする)の声のトーンが、少し想定外だった。「指導」するときに、一気に太く、重く、強い圧力とともに発せられ、語気が荒ぶる。一番弟子のような人の稽古の様子は、静寂の雰囲気だけでも、重くて厳しかった。先生は、「力を抜くことこそが、一番難しい」とおっしゃっている。私も、自分の教え子には、同じように「力というものは、力を抜けば抜くほど入る」という逆説を授業中に言うことがある。先生と同じようなことを、自分が授業中に行っていることが分かると、自然と先生の指導内容について、もっと聞き入りたくなる。自分と重なっていることは何か。自分との相違点は。やがて、自分に足りていないものが多いことに気づいた頃には、私はメモ帳を取り出し、先生の指導中に話している内容の重要と感じた部分を書き残していた。

pastedGraphic_2.png得られないかと捜す

初心者の指導の時が、とても学ぶことが多かった。自信がない学び手が、このような角度で手の位置は合っているのかを確認するたびに、「黙っているときは合っているとき」といって、目を離さずに見守っている。まさに、邪念から「守って」集中力を上げるのを支えているイメージ。そして、間違える。「間違えた方が、おぼえる」と言い、全然気にしない。「やがて、自分が過去にどうして苦労したのか」と不思議に思うほど上達するものだと言う。

そして、いわば「本番」である実際のお茶出しの時に、怒ることは決してないと言う。それは、本番で一生懸命やっていることには偽りがなく、そこを責めたところで、本人に恥をかかせるだけ。教子を傷付けないようにするための配慮なのか、「稽古こそが本番」という認識だから怒らないそうだ。

ご自身も若い時代に、分からないことがあれば、誰に頼れるものもなく、たとえ電車内であっても手掛かりになるものはないかと、電車の中吊り広告などの中からで合ってもヒントを得ようとしていたそうだ。なるほど、現在社会でいう「SNS」の広告効果の研究とも似通っているのかもしれない。大袈裟かもしれないが、私は、私なりに、先生のおっしゃっていることと、今の自分に、接点を持たせたかった。

練習生の中には、大きく「稽古上手」と「稽古下手」に分かれるという興味深い話もあった。前者は、規範となるものをよく視て、全体を自力で判断するという力を持っているという。稽古下手にはそれが欠けているという。すると、若き日の先生は、多忙なお茶会の席で、ご自身の師範の動きに目の方向が、自然に向かっていたと言う。教えるためには、常に「180°」広く見ることで、相手の良い点と悪い点が見えてくると言う。

pastedGraphic_3.png視える範囲が広くなる

そのようなことを続けていくと、波風を立てないように自分の身を潜めて「縁の下の力持ち」というスタンスになるという。そして、そのような謙虚な姿勢は、分かる人には自然と分かる状態になるという。

「実ほど頭を垂れる稲穂かな」

「縁の下の力持ち」という、久しぶりに耳にしたフレーズが、まだ響く。初めてということで、「お月謝」は無しだったが、すぐにスーパーに行って、菓子折を買って、今日、早速のところ先生宅へ持って行った。その距離約7メートル。渡した時の先生の顔は、いつもの年配の女性の目つきに変わっていた。さすが師範。水戸黄門的な存在である。

pastedGraphic_4.pngpastedGraphic_4.png昔聞いたフレーズだが新鮮

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