思考力

頭にエアを贈る

数日前から「瞑想」を始めた。私の場合は、極度の不眠症に悩まされており、しかも、病気の特性上、およそ一生の間、そのような薬を服用することになる。眠れないというのは、とても苦しいことで、特に身体が疲弊しきっているのに休めないというのは、本当に苦しい。そんな事を繰り返していれば、うつ状態にもなるし、短時間睡眠でも「無敵」になれる躁状態モードに突入してしまう。そんな自分にとって、やはり瞑想という、心を落ち着かせられるような行為は、得策と言えたようだ。

眠りに落ちるための音楽を聞きながら眠るという方法は、もうずっと前からやっているが、それでは寝付けないことが多く、焦っているうちに、睡眠ようBGMでさえ、雑音に聞こえてしまうことさえある。ただ、瞑想に関しては、意図的に眠る前に精神を落ち着けさせようという意思を働かせているので、自分自身の心にある本能に指令を出し、自分は眠れるのだという事故催眠をかけるわけだから、やはり強く自分の中の疲れを取りたい気持ちや、眠りにつきたいという気持ちを促すことになる。

昨日は、千葉に来て初めて勤めたブラック企業の社員にバッタリ出くわし、そのまま暴力的な行為に及ぼうとしたほど、心がかき乱されてしまった。果たして、こんな状態で眠れるのかと不安になりつつも、いつもの寝る前の薬を服用して、20分の瞑想をしたら、あっさりと眠ることができた。部屋の中が蒸していたので、サーキュレーター前回で眠ってしまったので、肌着一枚では寒くて、真夜中に一度目覚めてしまったことが悔やまれるが、今は、十分に回復した。カーテンの下の木漏れ日が差し込んでいたので、眠り過ぎを疑うほどだったが、8時前だったので、普段とそう変わらぬ時間に目が覚めたわけだ。これを続けない手はない。

断捨離で、ものがどんどん減っていく中、心の中のワダカマリも、どんどん減っていくように感じる。確かに、まだ引越し先も決まっていないし、仕事も安定しているどころか、仕事が回ってこない状態。それでも、自分の中には何とかなるという気持ちの方が強く、不確かなものではない、確信のようなものが芽生えてきている。目が覚め、歯磨きをし、林檎をかじったら、パソコンを開いてコーヒーを飲む。そんな一連の動作から綴る記事作成に、一時の爽快感を感じてしまう。もう、梅雨に入ったジメジメした時期だというのに、行動自体は、あっけなくカラッとしている。

昨日は、朝の瞑想をしながら、残眠感と戦いつつもグースカグースカ眠ってしまった。今日は、すっきり目が覚めているので、とりあえず問題なかろうと思う。吸う息よりも吐く息を長くし、その切り替えのタイミングで呼吸を少し止める。この腹式呼吸は、まだ難しく、呼吸も苦しくなってしまうのだが、慣れてしまえば、自分の中でトランス状態をつくるのも、容易になってくるはず。たまたま上手くいった「迷走」なのか、本物の「瞑想」に近づいているのかはわからないが、とりあえず継続する価値があることは間違い無いと言える。

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