思考力

言葉に沿う

もはや、病的に”7”を揃えたくて、ウズウズしながらアパートの玄関を開けると、シトシトと雨が降っていた。情報断食をしているので分からぬが、もはや梅雨に入ったのだろうか、最近では雨に濡れることが多くなり、一駅以上離れている賭博場を諦めて、カラオケボックスに入った。いつも通りの日々に刺激がないと感じるのは、賭博場にいかなかったことくらいなので、自分がどれだけギャンブルに依存しているのかがわかる。もはや、自分の力だけでそうというのは、全くの無理なことになってしまったのかもしれない。

今日は、渋谷で受診する日だ。何やら日没と同時に強い眠気を感じてしまい、そのまま眠りに落ちてしまったので、今の時計の針は、深夜1時も廻っていない。このように、自分の嗜癖と格闘していると、体が限界サインを出すかにように疲弊してしまい、強烈な眠気を催してしまうのだろう。これから始発電車までの時間と、渋谷に着いてからの時間を埋めるのは、かなり骨が折れる行為だと言えるが、いい医療というのは、これくらいしなければ受けられない。医者と患者の関係であっても、やはり強い絆がなければならないということも分かる。

部屋を断捨離していくと良いことがあると言われているが、私の場合も多分にもれず、とてもいいことが起こっている。賭博場へいく以外は、しっかりと自分の預金残高の引き落とし残高が明確になっているし、もし賭け事をしなければ、どれほど生活がラクになるかということもわかる。自分で悪い嗜癖を直すのは、とても難しいことではあるが、いつか治さなければならない依存症ならば、そこから目を背けたり否認することは、絶対に避けるべきではない。改善点がわかっていながら、それを見逃しているのであれば、それは虫歯を放置しているのと同じことであり、ある日を境に神経ごと抜き取らねばならなくなってしまう。それだけは絶対避けなければならない。

足場を固められたのであれば、自分の足取りをしっかりともって進んでいくべきだ。そうすることによって、見えてくる景色だって、普通とは違った、きっと明るい世界につながっている。茨の道を歩いていたのであれば、そこから脱出した時の喜びもひとしおなのだから、別に楽な方向へ進むというわけではない。もう、散々傷付いたのであるのならば、そこから這い上がるときくらいは、平坦な道を選んでもいい。その道にたどり着いたのであれば、ゆっくりと自分を立て直しつつ、また苦しい登り坂を選んで生きていこうではないか。

私の師が教えてくれた言葉、「人生苦しい時が上り坂」。この教えは、今でも私の心を支えてくれている。今一度、その言葉を心に、人生の軌道修正を図りたいものである。

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