思考力

動かして10

YouTube動画の尺が、仮に「10」だとしよう。気になるタイトルを見つけ、そのまま動画を視聴していると、過去のトラウマがヌメっと顔を出し、「4」〜「7」辺りまでその傷跡のからの怒りの噴射が突発的に起こる。再び、動画に戻れども、一度集中力を欠いた動画の内容を理解することは困難で、やはり連続テレビドラマの途中がスッポリ抜けている状態となってしまう。その動画から得られる決定的な「旨味」が解らないと、イライラすることが常になり、最近では毎日の大半は、そのような無駄な時間の遣い方をしている。

日が出る前の午前2時に目が醒め、再度眠気が来ることはなさそうだったので、そのまま起きてブログを書いている。濃いブラックコーヒーを煎れ、少しづつすすって、幸せのニングルーティンが出来上がる。欲を言えば、これが朝の光と共に目が醒めていたら、身体の時差ボケも精神的負担も軽くなると思うのだが、あまり文句を言える立場ではない。黙って受け入れるべきだ。

今日明日を乗り切れば、極貧状態から抜け出せるかもしれない収入が入ってくる。また、自分の文章が自分を守ってくれたかのごとく、Google広告の収益が、自分の口座に入ってくるかもしれない。後者の収益が確実に入ってくれば、私の生活の質は一気に改善され、入ってこないのであれば、今後の生活は地獄絵図となることも避けられない。とりあえず、今現在、溜まりに溜まっている滞納金を一気に返済できるかもしれない。そうなってくれれば、自分の中で何かを変化させてみたいという前向きな気持ちにもなる。

コロナのマスク着用義務も緩和されるようだ。この3年間、マスクをずっと着用して過ごさなければならなかった高校生たちは、どのような気持ちで学校生活を過ごしていたのだろう。顔の半分以上が見えない高校生活。これが全て弊害となるとは考えず、何かしらのメリットがあったのだとしたら、人をルックスだけで判断してはいけないということを体感し、その人のもつ人間的な魅力を感じられるような気持ちにもなったと思う。まるで、黒電話と公衆電話越しに話をしていた、私の高校生活の時のコミュニケーション手段の時のようだ。

再び眠れるかは解らない。今日は、少し込み入った話があり、その時間には起きていなければならない。このようなめんどくさい体内時計の時に起きなければならないというのは、かなり厄介と言える。しかしながら、自分の中での自己管理能力を崩壊させてしまえば、社会との接点が全くなくなってしまうかもしれないという危機感は、忘れてはならない。人を招き入れられるだけの部屋の掃除でもしようか。

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