思考力

十分に落ち着く

うだるような暑さの中、東京SHIBUYAまでメンタルクリニックの受診をする。月に2回行くと、交通費は多少かかるし、何よりも時間的なロスが多いとはいえ、身体ごと東京に移住するよりかは、コスパが良い。それを理解した上で車を購入したので、これからの外房ライフもさらに充実させていきたいものだ。ただ、とにかくに帰りになるので、肉体的な消耗が激しく、最寄駅に着く頃には、大切な何かをやり残しているのではないかと不安になる。案の定、ある意味で一番大切なブログ作成を完全に忘れていた。

受診の日は、朝の7時台の電車に乗るので、ブログを書いていたとしてもソワソワするだけで、とにかく予約の時間に間に合うように祈りを込めて東京へ向かうばかり。そして、いつもより早く起きているので、今の夕方の時間になると、どっと疲れが押し寄せてくる。何よりも、腰椎が折れている状態なので、その痛みも精神的苦痛ものしかかってくる。主治医にも話したのだが、もう塾の講師として連コマで授業をするだけの足腰ではなくなってしまったのだから、大きな転換期を迎えたことを否定できない。東京へ行く時だけ履くスニーカーが相変わらず合わず、いつも決まって魚の目ができる部分を感じながら、今後のことをぼんやりと考える。やはり、虚しさが募るばかりだ。

スマホで、釣りのアイテムを見ていると、車に乗って釣りにいくときに必要となる物を想像し、ワクワクする。そんなことを考えて気持ちが高まるのであれば、スマホを撫でながら自分が生き生きしてもいいということに安堵する。別に、世界と断絶されたわけでもないし、四半世紀前の爆裂躁状態で、警察や病院の保護室に叩き込まれるわけでもない。世間の目はなんであれ、自分の中で「心地良い」と感じられるのであれば、その方向に向かって生きていけばいい。今は、もうそれだけで十分だ。

自分の中に自分を閉ざしいたあの頃。内側から湧き出るエネルギーを抑えられなかったあの時期。今、こうやって自分の過去を俯瞰してみると、今までの人生から多くのことを学び、今後の自分に伝えていかなければならないことも明確になる。そうやって、今でも自分の中に期待できる「自分」を思い描くことができるのであれば、やはり、それだけで十分なのだと実感できるのである。

-思考力