思考力

重ならずに巻き上げる

かなり強い焦りを感じている。昨日、今住んでいる物件の退去を、オーナーに申し出て、退去届の申請書などを送付してもらったと思い、次なるステージへ胸を張っていこうと思えど、仕事が減ってしまったというアクシデントに見舞われた。つまり、正社員はおろか、会社そのものにぶら下がることさえ困難な状況。しかも、まだ新しい物件も決まっていないにもかかわらず、退去を申し出たわけだから、1ヶ月後までに新居を見つけつつ、仕事を増やしてもらわなければ、私は完全にホームレスとなってしまうのだ。万事休すか。

一休さんのように、「気にしない気にしない」と言えれば良いのだが、やはり自分の人生の中で、特に講師としての生活の中での仕事の減少というのは、強い焦りしか産まない。その証拠として、たった今、風呂に入ろうとしたら、湯を沸かすのを忘れて、年に数回ある水風呂になってしまったハプニングにも遭遇した。ヘアスタイルは、一休さんと同じながら、精神状態は、一瞬でも気を取られると、そのまま停滞撃沈してしまいがちなので、気をつけなければならない。

ただ、このように、講師としての仕事が少し減った程度でいじけているということは、そのまま自分の講師としてのプライドをキープしていることに他ならない。自分の職人としてのプライドを持っていれば、やはり仕事が減るということには落胆しつつも、これからの巻き返しに自分を奮い立たせるようになる。もっと言えば、自分の職人としての自尊心さえ保っていれば、仕事が減ったことに萎えることなく、たとえ足踏み状態であっても、自分の匠の技を極める心意気を持っていなければならない。

確かに、自分の心を込めた贈り物が、相手に伝わらなかったとしたら、大いに落ち込む。しかしながら、その時に、自分の欠点を探すのではなく、窮地に追い立たされた自分のポジションを意識しつつ、どの角度の自分だったら、相手は受け入れてくれたのだろうかと考える方が、その先の道は明るい。私は、講師として、どれだけの窮地に追い立たされたのか、数えることもできないし、それを数えようとすることそのものがナンセンスなのだろう。なぜなら、窮地から這い上がって栄光を掴んだのであれば、その「窮地」とやらは、成功への起爆剤となるのだから。結局のところ、時間という軸の中では、全ての事象というのは、「不可算」なのだ。

最近、よく考え、このブログでも残している「時間」という概念。これを根底から覆すものがないとは限らないが、やはり、自分の中の「軸」を持つとするならば、やはりそれは、細かな波によって全体の波を乱すことは愚かで、どんな波であっても、結局のところ、蛇が道を這うように動いている状態なのだ。決して螺旋状に、つまり「トグロ」を巻いているわけではない。やはり、自分の中に「軸」というものをもって、時間という流れの中に自分を置くことで、新しい境地に達することができるのかもしれない。

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